『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)は森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺にジャイアント馬場も出演したシリーズ第6弾

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『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)は森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺にジャイアント馬場も出演したシリーズ第6弾

『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)は、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺が主演した人気シリーズの第6弾である。東宝の屋台骨を支えた人気シリーズだったが、本作はアメリカから凱旋帰国して力道山と2枚看板だったジャイアント馬場が出演したのだ。

喜劇駅前シリーズとはなんだ

喜劇駅前シリーズとは、1960年代の喜劇人気シリーズとして東宝の屋台骨を支えた24作のことを指す。

ちなみに、他の人気シリーズには、森繁久彌の社長シリーズ33作、植木等やクレージーキャッツが出演するクレージー映画30作、加山雄三の若大将17作などがある。

ただし、喜劇駅前シリーズは、たとえば出演者がかぶる社長シリーズとはいささかテイストが違う。

ちょっとハイソな東宝映画を象徴するのが社長シリーズなら、松竹的なテイストを感じさせる社会風刺群像喜劇でが喜劇駅前シリーズである。

たとえば、社長の森繁久彌や、バーのマダムで足を組んでタバコを吸っている淡路恵子が、喜劇駅前シリーズでは、開襟シャツを着たオヤジや、尻をかきながら昼寝するオバサンになってしまうのだ。

ストーリーは、24作すべて別のストーリーだが、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺の3人が重要な役で出演する点では共通している。

そして、淡島千景、結婚休業するまでは淡路恵子、池内淳子、大空真弓らが出演するが、東宝生え抜きは森繁久彌だけで、あとはすべて他社出身の俳優ばかりである。

制作会社の東京映画が作ったプログラムピクチャーが、“傍流作品”のポジションから人気シリーズにのし上がった叩き上げの魅力を感じる。

シリーズのモチーフは、少なくともシリーズ前半は、たんなるドタバタではなく、実在の出来事やその土地の生活ぶりをリアルに示した、社会風刺喜劇である。

かといって、特定のモデルが存在する「実録もの」ではなく、あくまでもストーリー自体は創作である。

そして、ヒーロー物ではなく、複数の登場人物のドラマが絡み合って展開する群像劇になっている。

森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺の3人以外にも、登場するシリーズのレギュラーメンバーたちそれぞれに見せ場がある。

たとえば、本作『喜劇駅前茶釜』は、「16大スターがウデを競う」と予告されていた。


では、その16人は誰か。

森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、淡島千景、淡路恵子、池内淳子、三木のり平、沢村貞子、加東大介、有島一郎、山茶花究、渡辺篤、横山道代、若林映子、左卜全……と、ここまでで15人。

さて、16人目は誰か。

それは、第5回ワールドリーグ戦に参加するため、この年にアメリカのサーキットを中断して帰国したジャイアント馬場である。

ポスターより

ポスターより

2年前に渡米していたが、この頃は集客も風格も、日本陣営では先輩たちをごぼう抜きして力道山との2枚看板だった。

そこで、人気シリーズのオファーが舞い込んだのだ。

このシリーズは、前回の『喜劇駅前飯店』から、人気アスリート枠ができて、注目を集めるプロスポーツ選手が出演している。

しかも、ありがちなカメオ出演ではなく、ストーリーの動きに貢献して、セリフもたくさんある。

『喜劇駅前飯店』に出演した王貞治は、その年、初めてのホームラン王になった。

あの、868本打った王貞治の初めてのタイトル受賞で、さっそく出演させた喜劇駅前シリーズの慧眼はすばらしい。

ということで、その第2弾として出演したのが、当時25歳のジャイアント馬場だったのである。

あらすじ

『喜劇駅前茶釜』は、群馬県館林市・東武伊勢崎線茂林寺前駅の「駅前」にある茂林寺が舞台である。

正しくは青龍山茂林寺。

分福茶釜の寺として知られ、応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院と公式サイトで紹介されている。

そう。実在の寺なのである。

もっとも映画では、“呑福寺駅前の呑福寺(どんぷくじ)”と設定されている。

その呑福寺の住職が伴淳三郎、寺にも出入りする骨董商が森繁久彌、境内で記念写真の撮影を行って身を立てているのがフランキー堺である。

伴淳三郎が、森繁久彌とフランキー堺の殺生与奪を握っているため、何をい分けてもいつも我慢している2人が、とうとう堪忍袋の緒が切れて、その仕返しに狸鍋を食べさせようとする。

しかし、実は狸ではなく……。

それはともかくとして、森繁久彌が伴淳三郎から突っ返された掛け軸に描かれている狸(三木のり平)が、実は呑福寺の茶釜は本物ではない、と教えてくれます。

森繁久彌の本家筋(淡島千景)の納屋にあった茶釜を巡って、森繁久彌・フランキー堺と伴淳三郎が争います。

で、ジャイアント馬場は、フランキー堺の幼馴染である小原庄平という設定。

『喜劇駅前茶釜』より

『喜劇駅前茶釜』より

夏祭りの日に、飾ってあった森繁久彌の茶釜を、伴淳三郎の一派が盗み出そうとしたので、ジャイアント馬場が大立ち回りをして一派を蹴散らす。

その悪漢たちも、日本プロレスのレスラーである。

ジャイアント馬場の付き人だった大熊元司、山本小鉄とのコンビ・ヤマハブラザーズとして活躍した星野勘太郎、国際プロレスを興した吉原功、アントニオ猪木の付き人だった北沢幹之、そして、やはりジャイアント馬場の付き人だったマシオ駒の5人である。

『喜劇駅前茶釜』より

『喜劇駅前茶釜』より

相手が本職のプロレスラーだから、ジャイアント馬場は遠慮なく、撮影所の硬い地面に向かって、大熊元司を首投げ、北沢幹之はボディスラムで叩きつける。

星野勘太郎には椰子の実割り、吉原功には16文キック、そしてマシオ駒には、フランキー堺を抱えてドロップキックをさせている。

ところが、それを祝福して、ジャイアント馬場に抱きついた横山道代がチュッチュすると、ジャイアント馬場はポーッとして倒れてしまい、そのときにせっかく守った茶釜をつぶしてしまう、というオチである。

『喜劇駅前茶釜』より

『喜劇駅前茶釜』より

まとめ

封切り時、『喜劇駅前茶釜』は、植木等主演の『日本一の色男』と同時上映された。

つまり、まだこの時点では併映作品だったのだが、この後18作も続き、人気シリーズへとのし上がっていく。

そして、ジャイアント馬場はその3年後の1966年に、インターナショナルチャンピオンになり、日本プロレス界を牽引することとなる。

昭和らしい喜劇である。

機会があれば、ぜひご覧頂きたい。

以上、『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)は森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺にジャイアント馬場も出演したシリーズ第6弾、でした。

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