『スクラップ集団』(1968年、松竹)はあいりん地区にやって来た4人が新しい事業を起こすがハッピーエンドにならなかった話

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『スクラップ集団』(1968年、松竹)はあいりん地区にやって来た4人が新しい事業を起こすがハッピーエンドにならなかった話

『スクラップ集団』(1968年、松竹)は、釜ヶ崎のあいりん地区に追われるようにやってきた4人が新しい事業を起こすもののハッピーエンドにはならなかった話。野坂昭如原作で田坂具隆監督作品。高度経済成長時代の諧謔や皮肉がモチーフになっている。

あいりん地区とはなんだ

本作『スクラップ集団』の舞台となったのは、大阪の“あいりん地区”(愛隣地区)と呼ばれる地域である。

大阪府大阪市西成区の北部に位置し、旧来からの地名である釜ヶ崎とも呼ばれている。

JR西日本と南海電気鉄道の駅である新今宮駅の南側にある。簡易宿所・寄せ場が集中する地区の愛称である。

宿泊料金が安いため、近年はバックパッカーの宿泊地としても人気を集めている。

簡易宿所・寄せ場どころか、あいりん地区には路上生活者も多く居住している。

関東でいうと、東京都の山谷、神奈川県横浜の寿町にあたる、日雇い労働者の街である。

3つの街を称した「日本三大ドヤ街」などという蔑称もあるほどだ。

なぜ、居住者がそれらの地に来たのかの統計には詳しくないが、たとえば、事業に失敗して返済しきれない借財を背負ったり、それまでの地位や住居を失うような大きなトラブルを経験したりなどで、要するに食い詰めたり、社会からドロップ・アウトしたり人が来るイメージは否定できない。

そんなあいりん地区に、それぞれ前職で「傷」を負った人々が追われるようにやってきた4人が出会い、そこから社会にリベンジすべく事業を展開するが、結局うまくいかないのが、本作『スクラップ集団』である。

スクラップというのは、登場人物たちがスクラップ業を始めたこととともに、そもそも社会に対する自虐的な表現が含まれる。

つまり、当時の高度経済成長の流れから外れてしまった廃棄物、という意味らしい。

原作者は野坂昭如である。

生まれてすぐに実母を失い、上の妹は病気で、1945年の神戸大空襲で養父を、下の妹を疎開先の福井県春江町(坂井市)で栄養失調で亡くしている。

妹に対して贖罪の気持ちから『火垂るの墓』を記したといわれている。

さらに、終戦時から大阪府守口市などを2年間転々としている。

要するに、陰翳に富んだ人生というわけだ。

時代は高度経済成長時代だったが、野坂昭如に、平岩弓枝のような登場人物全員が丸く収まるホームドラマは似合わない。

いつも社会の弱者、欠点などを皮肉や諧謔の視点で書ききっている。

前置きが長くなったが、あらすじをご紹介しよう。

ネタバレ御免のあらすじ

九州炭鉱地帯の汲み取り業者・ホース(渥美清)は、主婦(石井富子)の頼みでストライキ中に内緒で汲み取りをしてあげたことが原因で、商売も故郷を捨てざるを得ないハメに陥った。

ホースというのは、汲み取りのホースから来ている。

ケース(露口茂)は、名前通り大阪のケースワーカー。

訪問先の老人(笠智衆)から、「社会復帰するので、ここの最後の夜は娘に思い出を作ってやって欲しい」と依頼され、娘(宮本信子)と関係する。

ところが、一家は心中してしまい、娘と寝たケースは自責の念で辞職する。

ゴミ拾いのドリーム(小沢昭一)は、ごみの匂いが好きでゴミ拾いをしていたが、ゴミに執着して職務怠慢から解雇されてしまった。

愚直で嘘がつけず世渡りベタな3人は、大阪の釜ヶ崎といわれるあいりん地区に流れで出会うことになる。

仕事が上がり、3人が飲んでいる時に知り合ったのが、安楽死を追求して病院にいられなくなったドクター(三木のり平)だ。

意気投合したこの4人は、人間生活につきまとうすべてのスクラップを商売のネタにしようというドクターの企画で、スクラップを回収し処理する仕事を始めることになる。

最初は華々しかった。

サーカス団と話をつけて、栄養失調で死んだ象を道端に放置して、それを始末するパフォーマンスで町の信頼を獲得した。

事業が順調に発展すると、ドクターは九州の廃鉱を買いとり、九州出身のホースを派遣して観光事業(炭坑テーマパーク)を開始する。

ドクターの異様な事業的野心に、だんだん他の3人はついていけなくなる。

ホースは、誰の子とも分らない子供を産んだ春子(奈美悦子)と、ありふれているがそれがありがたい庶民の生活を満喫していたが、坑内で起った落盤で死亡する。

ドリームはゴミ収集場に戻るが、なんとゴミ収集場で異常繁殖したネズミに食い殺されてしまった。

ケースは、独裁的になったドクターについていけず、スクラップ業から身を引いてあいりん地区の労働者に戻った。。

ドクターだけはテレビ出演し、「わが社は地球すらスクラップできる」と暴走演説するシーンでエンディングである。

諧謔の作品だからハッピーエンドにはならない

本作は、渥美清、小沢昭一、三木のり平など喜劇の重鎮が揃っているが、決して一般的なイメージの喜劇ではない。

かりに本作を喜劇だとしても、ドタバタやギャグのスラップスティックではなく、野坂昭如らしい皮肉と諧謔(かいぎゃく)の作なのだと思う。

何に対する皮肉と諧謔か。

作品は、三種の神器が普及し始め、白黒テレビからカラーテレビに変わり始める時期。

そこで、消費文化に対する「戦後闇市派」としての皮肉や揶揄が込められていると思われる。

本作のストーリーが、スクラップ業の反映であることや、事業がうまくいったのに崩壊する展開が、まさにそうである。

4人の末路は、自己実現や幸せをわずかでも実感できたホースとドリームは死亡してしまう。

心中した女性と関係したケースは、その思い出を胸に抱きながら現業系労働者を細々と続けた。

事業欲をむき出しにして人間性が抜け落ちたドクターだけは、テレビCMに出るほど経済的には成功した。

物語としては、ドクターが落とし穴にハマり、ホースが幸せになってくれると庶民は溜飲を下げたのだろう。

だが、現実社会はそうはならず、愚直な者がいつまでも不遇をかこつ一方で、手段や人格はどうあれ「成功」した者がさらに成功を重ねる。

本作は、それを遠慮せず描ききっているわけだ。

といっても、シニカルさだけでなく、社会の下層への思いやりに溢れた描写は刮目させられる。

右肩上がりの始まった、高度経済成長のイケイケドンドン時代に、こうした作品が上映されたというのは、当時の映画文化の豊かさや懐の深さを感じざるを得ない。

以上、『スクラップ集団』(1968年、松竹)はあいりん地区にやって来た4人が新しい事業を起こすがハッピーエンドにならなかった話、でした。

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