芸能考房

四つ葉のクローバーをはさんだエピソード

直木賞作家で、スポーツ評論などでも知られる増上寺法主・寺内大吉さんが亡くなった。

直木賞作家でベレー帽の浄土宗住職。昭和世代の男性なら、格闘技、とくにボクシング関連の解説・評論でお馴染みだろう。沢村忠というスターを擁したかつてのキックボクシング中継では、ラウンド終了ごとの「寺内さんの採点は......」という実況がなつかしい。
寺内大吉さんの訃報を聞いた筆者は、以前自分が書いた『SPA!』の前身にあたる『週刊サンケイ』の最終号(1988年6月8日号)の記事を思いだした。草柳大蔵さんや梶山季之さんらが開祖した週刊誌ジャーナリズムが、ひとつの区切りをつけることになったといわれた記念すべき誌面である。タイトルは、「トップ記事で読む われらが昭和を生きた人間群像」。週刊誌のトップ記事を飾ったスターの生き様を改めて記事にするものだった。

筆者はそのとき、力道山と並ぶ戦後のスポーツヒーローであった、ボクシングの白井義男選手について書いている。ただ、それは筆者が生まれる前のことだから、当時を知っている人に話を聞かなければならなかった。そのとき、作家の村松友み(示見=該当2バイト文字がJISコードにない)さんや寺内大吉さんに理解を助けていただいた。


とくに寺内さんが教えてくれた白井夫妻の秘話は、その記事の核になるものだった。

記事は、白井選手と登志子夫人のなれそめから書き始めている。白井選手の父親が養鶏場を始めることになり、そのときに餌を届けに来たのが夫人だった。当時の記事から少しだけ引用しよう。

「四つ葉、お守り、もの忘れー
 といっても落語の三題噺ではない。本誌創刊号に『リングの陰に咲く花』という記事がある。日本人として初めてボクシング・フライ級世界チャンピオンに輝いた白井義男選手の秘められた愛をスクープしたものだ。
 そのエピソードの中に、この『四つ葉、お守り、もの忘れ』が出てくるのである。......」

村松さんは、次のような話をしてくれた。

「とにかくボクシングのチャンピオンというと、まず強いということがイメージとしてありますね。白井選手も強かったわけですが、彼の場合には、それに加えて"優しさ"という要素もあったのです。ライバルのダド・マリノと試合後に健闘をたたえて抱き合ったり、バンテージに四つ葉のクローバーをはさんだりしたというエピソードや、カーン博士という師匠との師弟愛など、その温かさが非常に魅力的なボクサーだったのです」

そんな優しさに惹かれて結婚した登志子さんは、つねに夫の傍らでつきっきりで世話をするようになる。登志子さんを白井選手も全面的に信頼し、ボクシングのトレーニングだけに専念した。

そして1952年5月19日、白井義男は後楽園球場特設リングで宿敵ダド・マリノを破り、日本で初めての世界チャンピオンになった。

筆者は、白井さん本人からも直接うかがっている。

「これはあとになって分かった話なんですがね、実はその時、女房はトレーニングパンツの中に、お守りを縫いつけておいたらしいんですよ。私の母親と相談して、私に内緒でやったことなんですけどね。隠れた親切は美しいっていうけど、これには泣かされたなあ」 

その後、白井選手は5回目の防衛戦でパスカル・ペレスに敗れ、リターンマッチでも雪辱できずに引退する。白井選手本人からは、とくにこの点でのコメントはなかった。このあたりの葛藤がもう少し具体的に知りたいなと思っていた筆者に、「白井選手に引退を決意させるきっかけになったのは実は登志子夫人だった」という、とっておきの秘話を筆者に教えてくれたのが寺内さんだった。

「試合が終わり帰宅して、夫婦でお茶を飲んでいると時、突然白井選手が、"あれ? 今日は試合じゃないか、お茶なんか飲んでいられん!"と奥さんに言ったというんですな。それで奥さんは、"もう試合は終わったのよ"と悲しそうに言ったわけです。白井選手は、奥さんの悲しそうな顔を見て、引退を決意したと言っていましたね」

宗教や文学など観念の世界で長く活躍した寺内さんは、人の心に余韻を残すエピソードの披露や解説にはいつも聞かせるものがあったが、このときも期待以上のお話を聞かせていただいた。

敗戦にうちひしがれた日本国民に、夢と希望を与えてくれたスポーツ・格闘界のスターといえば、白井義男と力道山が双璧である。

力道山の方は、残念ながらその肉声から記事を起こす機会は得られなかった。筆者の物心ついたときには、すでに力道山は亡くなり、プロレス界のエースは豊登道春からジャイアント馬場にうつっていたからだ。これは世代が違うから仕方がない。それだけに、もう一方の雄である「ボクシング世界チャンピオン・白井義男」の記事を書けた筆者は、本来ならできないはずの経験ができて大変光栄だった。

それも、大吉和尚が教えてくれたエピソードが筆者を助けてくれたからである。往生に素懐を遂げられた大吉和尚のご遺徳を偲び、記念すべき号で記者冥利に尽きる仕事をさせていただいたことに哀悼の意を表すとともに、改めて感謝申し上げたい。

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