『わたしの青い鳥』。桜田淳子にとって3枚目のシングルである。このレコードジャケットは、デビュー3曲目にして初めて彼女はキャスケットを外している。もちろん、デビュー時と変わらない笑顔と路線ではある。しかし、中学生歌手だから少しずつ成長が見られなければならないので、1曲歌うごとにイメージの変化を考えていたのかもしれない。
何しろ、桜田淳子にとってキャスケットというのは、阿久悠氏やスタッフを釘付けにした「ツール」である。
その勢いで、『スター誕生!』の第4回決戦大会において、番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞。
最高のスタートをきった。
それを外したということは、デビュー時からさらに一歩踏む出す決意だったといえるだろう。
『わたしの青い鳥』(1973.8.25)
わたしの青い鳥/恋人になって!!
作詞者:阿久悠
作曲・編曲者:中村泰士(編曲:高田弘)
ビクター音楽産業
この歌は15.9万枚を売り上げ、オリコン最高順位は18位。
大ヒットというわけではなかったが、「ようこそ ここへ クッククック」というフレーズが印象強く、イメージ的にはもっとヒットしたような気がする。
後に、この替え歌のリフレインで「ようこそ ここへ や・ま・い・ち」と、桜田淳子が出演して連呼する山一証券のCMも登場した。
リフレインというのは、古典的な宣伝方法だが、テレビCMとしてはこの山一證券が最後だったように記憶している。
そういえば、山一證券はもうない。
歴史を感じる。
後に、おニャン子クラブが『恋のくえすちょん』(1986年11月1日)をリリースしたが、作曲を提供した見岳章は、この歌のパロディだったと述懐している。
「この詞は桜田淳子の『私の青い鳥』のパロディ。僕達、おニャン子ではそういう密かな遊びをいっぱいやったな。分る人には分るという。心のせまい人は怒っちゃいそうだけど」(『おニャン子白書』)。
桜田淳子の歌は「くっくくっく」。
『恋の…』は「くっくっくっくっ」だから少し違うのだが、それはともかく、80年代中盤の大型台風ともいえるフジテレビの一大ブロジェクト、おニャン子クラブにもあからさまに使われるほど、この歌は多くの人に知れ渡っていたわけだ。
暮れの賞が凄かった。
第4回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を受賞。
第15回日本レコード大賞では最優秀新人賞にも輝いた。
ちなみに他の新人賞受賞者は、『赤い風船』の浅田美代子、『涙の太陽』の安西マリア、『コーヒーショップで』のあべ静江、『草原の輝き』のアグネス・チャンなど。
つまり「あ」のつく歌手の当たり年といわれていたのだが、当時の二大大賞のふたつとも「あ」のつかない彼女が最優秀に輝いた。
文句なしにこの年のナンバーワン新人ということである。
中学生らしい服装で中学生らしく歌う桜田淳子が、他の誰よりも輝いて見えたのであろう。
日本歌謡大賞は20年も前に打ち切られ、日本レコード大賞も、EXCILEとAKB48のための賞になってしまった。
その意味でも懐かしい話である。
なんだかんだ言っても、この頃の音楽賞には権威と誇りがあったのではないだろうか。
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