『飛び出せ!青春』(鎌田敏夫著、径書房←こみちしょぼうと読みます)という書籍を昨年末、図書館から借りました。1988年11月発売なので、書店にはもちろんありません。アマゾンのマーケットプレイスを見たら、「¥5,250より」となっていたので、状態もわからないのにそれはちょっと……と迷い、結局図書館から借りることにしました。
『飛び出せ!青春』といえば、1972~73年にかけて日本テレビで放送された青春学園ドラマです。舞台は高等学校の2年~3年。ドラマとともに青い三角定規の主題歌と挿入歌も大ヒット。今でもボーカルの西口久美子は歌っているみたいですね(youtubeで『太陽がくれた季節』『青春の旅』『青い三角定規/飛び出せ!青春』など検索すると出てきます)
同書には、メイン脚本家だった鎌田敏夫氏と中村良男プロデューサーの対談、第1話、第4話、第14話、第24話、第38話、第40話、第43話(最終回)などのシナリオ、さらに放映データ、キャスト表、スチール集などが掲載されています。
日本テレビが一世を風靡した(裏番組の大河ドラマを視聴率で抜いたこともある)青春学園ドラマとはいえ、73年に放送したドラマのシナリオ集や対談を、なぜ15年もたった88年に作ったのか。
たぶん、80年に15年間続いた青春学園ドラマシリーズが終了し、85年に監修者だった千葉泰樹氏(映画監督)が亡くなったので、当時の関係者の間で記念に何かを作ろうという機運が高まったのかもしれない、と私は推理しました。
私はさすがに、『飛び出せ!青春』のときにリアル高校生ではなかったので、後の再放送でじっくり鑑賞しました。昨秋、久しぶりにBS日テレで放送されたので、改めて「青春学園ドラマシリーズの最高傑作」を鑑賞。なるほど、これはみんなが褒めちぎるわけだ、と再評価したところです。
本書は以前も読んだことがあって内容はわかっていたので、いちばん好きな回(第38話、気楽に行こうぜオレたちだけは!! )のシナリオを確認したくて借りたのです。
ただ、それだけのもんだよ
あらすじをご紹介します。ネタバレが嫌な方、昔のドラマがかったるいと思われる方はここはトバしてください。
1.サッカーの名門大学から、スカウト(西沢利明)が舞台である太陽学園高校を訪問。キャプテン・高木(石橋正次)に嘱目しますが、追い詰められた時の力を試すために、あえて「当て馬」の狙いで、別の生徒・片桐(剛達人)をセレクションの候補に指名して高木を刺激。高木はふてくされ、片桐は舞い上がり、「格付け」が崩れたサッカー部は高木派と片桐派に別れてバラバラになってしまいます。なぜこの回が好きかというと、鎌田敏夫氏の主張が良くあらわれているからです。
2.担任のレッツ・ビギンこと河野先生(村野武範)はそんな光景を苦々しく思いますが、その理由はチームの分裂そのものよりも、サッカーを進学や就職の道具に使うということにありました。スカウトは、高木が発奮するタイミングをみはからって、高木にもセレクションに参加することを要請。河野先生は、片桐が「当て馬」であることに気づき、生徒の気持ちを考えないスカウトを非難しました。
3.そしてついに河野先生は、部員たちに片桐が「当て馬」であることやスカウトの狙いなどを話し、高木には「サッカーはサッカーなんだ。進学や就職の道具にして欲しくないんだ」と自分の気持ちを伝えます。しかし、片桐も高木も、セレクションである大学の合宿に参加すると回答。翻意を諦めた河野先生は、2人に思いっきりボールをけらせ、「いいキックができた時は気持ちのいいものだろう。サッカーとはただそれだけのものだ」と寂しく語ります。このへんはクライマックスです。2人の対立が抜き差しならないものになったように見せます。
4.合宿の練習試合に2人は参加しますが、高木は凡ミスを繰り返します。片桐はそれがわざとであることに気づき、「俺に遠慮せず堂々とやれねえのか」と責めますが、高木も「お前が『当て馬』とわかっても来たのは、俺に来させるためだろう」と返答。2人ともセレクションに参加したのは、大学に入るためではなく、お互いを気遣ってのものであることを確認します。
5.ここからはラストまで急展開。高木はスカウトに2人の気持ちを伝えたうえで、「アンタの学校がどれだけ強いか知らないが、本当のサッカーってものを知らない」。ボールを蹴り上げ「これがサッカーってもんだぜ。サッカーとはそんなもんだよ。ただ、それだけのもんだよ」と河野先生の受け売りを一席ぶって大学を去ります。
そして高校に帰ってきて、「いろいろあったけどよ、せめてこいつ(片桐)とは最後まで気楽にやりたかった」と河野先生に報告。また練習が始まり、河野先生は喜んでボールをキックしたところでドラマは終わります
・教育問題ではなく1人の人間の生き方を描きたいというねらいがよくあらわれていること
・青春ドラマに限らず、ドラマとは土壇場で心地よい嘘でシメるから余韻が残るというセオリーがわかりやすく描かれたシナリオであること。(現実は、サッカーで落ちこぼれ高校から名門大学に奨学生でいけるのならそれを辞退するはずがない)
・友情、教師と教え子の関係、クリーンな教師など学園ドラマのエッセンスがフルに詰まっていること
もうひとつ、「サッカーはしょせんサッカーだ。ただ、それだけのもんだよ」という台詞も私は好きです。
これほど端的な、人間の傲慢さに対する諫言はないでしょう。
前向きではあっても行き過ぎにはならないように
人間社会では、ある分野の人や組織が、その専門分野を超えて思いあがった越権的な態度を取ることがよくあります。そして、それこそが、世の中の不毛な混乱や対立の原因であることが少なくありません。
ある分野のある研究の専門家でしかない一学者が、よく知りもしない他分野についてさかしらな批評をしたり、マスコミが、「言論の自由」を振りかざして、世直しなのだから「悪人」に対しては何を報じてもいいといわんばかりに、まるで検察官や裁判官のような勘違いした糾弾や名誉毀損行為を繰り返したりする。
たとえば、一介の放射線医が、なんで原発事故を「安全」と言い切れるのでしょうか。放射線を扱っているからといって、大規模な放射能漏れによる事故についてまで専門家というわけではないでしょう。
人間は万能でもないし、どんなご立派なお仕事だろうが、しょせん限られた範囲での営みに過ぎないのに……。
そして、何よりそう書いている私自身も、その誤りを犯している可能性があります。
ですから私は、「ただ、それだけのもんだよ」という台詞をいつも心の片隅において、前向きではあっても行き過ぎにはならないような考え方と行動に徹したいと思っているのです。
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