『記念樹』で『ムンク・カンディンスキー』を抱える森昌子

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『記念樹』を森昌子がリリースしたのが1973年10月31日。6枚目のシングルはまた学園ものだった。学園生活のいろいろな思い出で胸が熱くなったという叙情詩だ。レコードジャケットには、『現代世界美術全集21巻/ムンク・カンディンスキー』 の画集を抱える森昌子がいる。

ただし、森昌子の実年齢はこの時点で中学3年生。昨今の中学生はわからないのだが、通常の中学生でムンクやカンディンスキーに傾倒するというのは考えにくい。

そこで、こう解釈してみた。

セーラー服でないところからみて、絵を描くのが好きな真面目な高校か大学の美術部所属という設定なのだろうと。

ちなみに、筆者はこのジャケットを見た時、同じ画家でもてっきりエドガー・ドガだと長年思い込んでいた。

記念樹2

いずれにしても、歌はいい歌だと思う。

卒業の記念樹を植えながら、学園生活をいろいろ思い出して胸が熱くなったという歌詞は、つい自分の学校生活を思い浮かべてしまうだろう。

森昌子には『せんせい』のイメージが強いのだが、青春歌謡時代の森昌子の歌でベストワンと問われたら、迷わずこの『記念樹』を選ぶだろう。

『記念樹』(1973.10.31)

記念樹

記念樹/さびしがりや
森昌子
作詞者:阿久悠
作曲・編曲者:森田公一(編曲:馬飼野俊一)
ミノルフォン

当時、森昌子と桜田淳子と山口百恵は「花の中三トリオ」として売り出されたが、実際には同じ学校に転入した桜田淳子と山口百恵は仲が良く、森昌子は2人と「それほど親しかったわけではない」(『明日へ』)と述懐している。

明日へ

明日へ

  • 作者: 森 昌子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2006/04
  • メディア: 単行本


それは学校が2人と違うだけでなく、桜田淳子と山口百恵は芸能界に入ったために転入した私立中学に過ぎなかったが、森昌子はデビュー前から入学していた公立中学だったことがある。

私立中学に比べると公立中学は指導に自由度が少なく、本来芸能活動との両立は認める余地がない。

しかし、森昌子の出身中学では、森昌子のデビューを応援してくれた。

修学旅行に森昌子が行けば、警備上他の生徒への影響もあるところだが、ホリ・プロのはからいもあって森昌子は、京都・奈良という東京の公立中学定番の修学旅行を実現した。

旅行中、他校の生徒と鉢合わせになり彼女が見つかると、彼女のクラスメートが三重、四重の輪を作ってガードしながら進んでくれたという。

「あの頃、心の支えになっていたのは、中学の友達」(同)という森昌子にとって、学園ソングはまさに自分の素晴らしき中学生活そのものを表現していたのである。

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