ザ・ピーナッツ、伊藤エミさん(1941年4月1日~2012年6月15日)の13回忌の命日にレコード売上1000万枚到達振り返る

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ザ・ピーナッツ、伊藤エミさん(1941年4月1日~2012年6月15日)の13回忌の命日にレコード売上1000万枚到達振り返る

6月15日は、ザ・ピーナッツの伊藤エミさん(伊藤日出代⇒澤田日出代、1941年4月1日~2012年6月15日)の13回忌の命日です。お姉さんのほうですね。ザ・ピーナッツといえば、女性デュオとして数々のヒット曲をリリース。レコードセールスは通算1000万枚到達の金字塔を打ち立てました。

ザ・ピーナッツは、日本の双子の元女性歌手(デュオ)で、伊藤エミ(伊藤日出代)、伊藤ユミ(伊藤月子)さんの姉妹から成るデュオです。

地元で、伊藤シスターズとして歌っていたところ、渡辺プロダクション(ナベプロ)創業者である渡辺晋さんにスカウトされ、渡辺宅に下宿しつつ作曲家の宮川泰さんに師事し、歌唱レッスンを受けてメジャーデビューすることになりました。


1959年2月に「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビューし、同年4月に「可愛い花」でレコードデビューを果たしました。

その半年後の『情熱の花』は映画化されました。

情熱の花


生き別れの双子が再会して歌をうたう話です。

歌手・作曲家としてひとつの時代を築いた平尾昌晃さんが、彼女たちをプッシュする役で出ています。

この頃のザ・ピーナッツは、1960年代後半の頃に比べると、率直に言って垢抜けていないように思えます。

ザ・ピーナッツの変遷です。左上から時計回りでご覧ください。


最初のコロコロっとしていた頃に比べて、随分垢抜けちゃいましたね。

でも、垢抜けないところもまた良かったのです。

1960年代前半の日出代さんは、子どもだった私には伊東ゆかりさんと似てるなあと思いました。

シャボン玉ホリデー


ザ・ピーナッツというと、『モスラ~や、モスラ~』といわれるのですが、リアルタイムを多少は知っている私としては、やはり蜂の巣ヘアーで『恋のバカンス』を歌ったあたりからのイメージが強く残っています。

その時期に放送されていたのが、『シャボン玉ホリデー』(1961年6月4日~1972年10月1日、NTV)。

クレージーキャッツのバラエティー番組というイメージが強いのですが、もともとはザ・ピーナッツが主役の音楽バラエテイーショーにクレージーキャッツが出演していたのです。

30分番組でありながら、収録に3日間かけたとのことで、ナベプロとしてはそこで発生する報酬はコスト的に見合わないものであったそうです。

が、テレビ史に残る番組として評価されたことや、その他の出演者、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、奥村チヨなど、所属歌手のプロモーションなども行え、付加価値の高い仕事になったのではないでしょうか。

大冒険、クレージーの黄金作戦、クレージーのメキシコ大作戦

クレージーキャッツとの付き合いは、『シャボン玉ホリデー』だけでなく、映画にも出演しました。

クレージー映画の『大冒険』(1965年)、『クレージーの黄金作戦』(1967年)、『クレージーメキシコ大作戦』(1967年)などです。

といっても、本編の芝居ではなく、劇中にあるショーのシーンで歌っています。


ザ・ピーナッツは、どちらかというと面長の妹の月子さん(伊藤エミ)の方が生真面目で、丸顔のお姉さんの日出代さん(伊藤ユミ)はわりと愛嬌があり、アドリブのきくタイプでした。

ザ・ピーナッツ『クレージー黄金作戦』でウナ・セラ・ディ東京歌う
ザ・ピーナッツといえば、様々なヒット曲で累計1000万枚以上のレコードを売り上げたと云われているが、その中でも異色といえるのが『ウナ・セラ・ディ東京』という楽曲だ。今でこそ、ザ・ピーナッツのファンには名曲の一つとされているが……。
伊藤ユミ、“ザ・ピーナッツの豪邸”は売却で更地に
伊藤ユミといえば、我が国の歌謡史に名を残したザ・ピーナッツの妹だ。最近、また彼女がニュースになった。とっくに引退しているし、姉の伊藤エミの命日もまだはやい、と思ったら、東京・世田谷に建てた100坪超の地下1階、地上2階の豪邸を売却。その土地は更地になっていた、という記事が『女性セブン』(6月12日号)にでたのだ。

『クレージーメキシコ大作戦』は、興行的には失敗で、クレージーキャッツが凋落する発端となった作品と言われていますが、劇中のショーで歌っているザ・ピーナッツは円熟したいちばん魅力的な頃だったように思います。

彼女たちの音楽は、和製ポップスや歌謡曲に分類され、初期には一部民謡も歌唱していました。

ザ・ピーナッツは、その抜群の歌唱力と官能的でエキゾチックなハーモニー、美しく温かい歌声で日本国民を魅了しました。

彼女たちのヒット曲はたくさんあり、代表的なものは『情熱の花』『恋のバカンス』『恋のフーガ』『ウナ・セラ・ディ東京』などがあります。

海外でも活躍し、特にドイツやイタリアでは日本の歌手といえば「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどでした。

1975年には芸能界を引退し、その後はほとんど公の場に姿を現すことはありませんでしたが、姉の伊藤エミさんは2012年に、妹のユミさんは2016年に亡くなりました。

つねに美しいハーモニーで第一線であり続けたザ・ピーナッツというのは、すばらしいエンターテイナーであったと思います。

そういうわけで、ザ・ピーナッツについては、とてもこんな記事の1つや2つでは語り尽くせませんが、また折を見て書かせていただきます。

以上、ザ・ピーナッツ、伊藤エミさん(1941年4月1日~2012年6月15日)の13回忌の命日にレコード売上1000万枚到達振り返る、でした。

決定版!ザ・ピーナッツ ベストコレクション - ザ・ピーナッツ
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