森昌子、伊藤咲子など後続組の憧れだった

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森昌子といえば、「花の中三トリオ」の“扇の要”であるとともに、デビューのきっかけとなった『スター誕生! 』では、後続の歌手たちにとって憧れであり目標であったことが、『日刊ゲンダイ』(2014年4月9日付)の伊藤咲子の連載「スタ誕の時代」の中で綴られている。

伊藤咲子は、15歳だった1974年に『スター誕生! 』から26人目のデビューを『ひまわり娘』で飾った。伊藤咲子はデビュー曲にちなんでつけた芸名ではなく本名である。

当時の芸能雑誌には、1日5食の天真爛漫アイドルとして紹介された。

1976年には『きみ可愛いね』で第27回NHK紅白歌合戦にも出場している。

100組デビューした『スター誕生! 』出身では、比較的人々の記憶に残っている歌手ではないだろうか

その伊藤咲子が、デビューの頃を述懐しているのが冒頭の連載「スタ誕の時代」である。第2回で、『スター誕生! 』に出場するきっかけを綴っているのだが、そこには、森昌子の名前が出てくるのだ。
日刊ゲンダイ・伊藤咲子

 中1の時、私の歌を学校で聴いてくれる友達が、始まって間もない「スタ誕」を教えてくれて、放送される日曜の昼11時に友達の家に仲良し5人で集まり、見ていたんです。
「今度、デビューすることになった森昌子(写真)です」と第1回の決勝大会からデビュー第1号となった昌子ちゃんが出てきて「せんせい」を歌った。(中略)
 でもテレビの昌子ちゃんを見て「歌がうまいな~」と聴き惚れながらも、同い年で、私たちの中にいてもおかしくない親近感が持てて、応募を決心。桜田淳子ちゃんも山口百恵ちゃんも「昌子ちゃんを見て応募を決めた」と後に本人たちから聞きました。そのくらい“中1の昌子ちゃん”の印象は強かったです。
桜田淳子や山口百恵や伊藤咲子だけでなく、当時は森昌子がデビュー以来、応募が「1日だけで何千通ときていた」と書かれている。中には、字が汚いというだけで書類選考に落ちてしまうこともあったとか。応募ハガキだけでそれほどの競争率だった。

伊藤咲子が予選に出場できたのは、応募の半年後。もしかしたら、伊藤咲子だって書類選考で落ちていたかもしれない。ひうしたら、「ひまわり娘」は誕生しなかったのだ。

世の中は運不運も左右するものである。

いずれにしても、当時番組とって森昌子の存在がいかに重かったかということだ。

もし、これが、もっと歌の下手な人だったり、プロとしてのキャリアを経験した新鮮味のない「玄人」ったぽい人だったりしたらどうだろう。

伊藤咲子のような同級生が憧れたり、「私もやってみようかな」という気になったりはしなかったかもしれない。

「歌がべらぼうにうまいけれど普通の中学生」である森昌子だから、多くの若い女性にとっては憧れになったり目標になったりしたのではないだろうか。

そういう意味では、番組にとっても森昌子が出場してデビューしたことは大変幸運だったといえるかもしれない。

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