『黄色いリボン』は桜田淳子6枚目のシングルである。16.5万枚を売り上げ、オリコン最高順位は10位だった。デビュー以来「天使」シリーズに始まり、「青い鳥」、そして「花」の歌に続き、今度は「リボン」だ。思春期の女の子の可憐さやデリケートな心情を歌う象徴となるキーワードが入る歌が続いている。桜田淳子はこの歌で、その年の『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場している。
初夏にリリースした歌だけに曲も明るい。『わたしの青い鳥』は明るかったが、その前の『花物語』と『三色すみれ』は、どちらかというと“切なさ”を前面に出した歌だったので、また明るさ、可憐さを取り戻したようなイメージである。
『黄色いリボン』(1974.5.25)
黄色いリボン/気になるあいつ
作詞者:阿久悠
作曲・編曲者 A面:森田公一(編曲も) B面:森田公一(編曲:馬飼野康二)
ビクター音楽産業
ジャケットの桜田淳子は、歌詞にある黄色いリボンをつけているわけでもなく麦わら帽子もかぶっていないが、黄色い腕時計をはめている。タイトルの文字も黄色。その前面にも黄色い花をおいて全体として黄色を打ち出している。
作曲は、この歌は中村泰士に代わって森田公一になっている。中村泰士は次の『花占い』以後、森田公一や中島みゆきらが提供するようになり、『冬色の街』(78年12月25日)まで桜田淳子に曲を提供していない。
中村泰士は番組の審査員も森田公一に交代し、翌75年1月22日収録分から降板する。何かトラブルでもあったのかと心配する。
阿久悠によれば、もっと自由でありたい中村泰士にとって、花形作曲家で、かつ聖職者のような立場であるべき番組の審査員は息苦しかったろうと推理。中村泰士自身もそれを認めたという(『夢を食った男たち』)。
ということは、絵に描いたような中学生アイドルの桜田淳子の歌を作るのも息苦しかったのだろうか。
いずれにしても、桜田淳子個人との確執ではないようだ。
余談だが、阿久悠氏も山口百恵との確執が噂された。山口百恵を評価しなかった阿久悠氏に山口百恵が不信感を抱いたので、阿久悠氏は山口百恵の作家陣にならなかったという話である。
阿久悠氏は当然オフィシャルには否定するし、山口百恵も自著などでその件に触れたことはない。あってもないというのが当たり前の話だから、第三者に真相はわからないだろう。
いずれにしても、一騎当千の個性を売り物とする歌手と作家の間には、個人的な友好関係があろうがなかろうが、簡単に仕事で“ご一緒”するわけではない、ということである。
少なくとも言えることは、中村泰士の提供した曲によって、可憐で清潔感のあるアイドル歌手、桜田淳子のブランディングが確立したこともまた否定しがたい事実である。
スタ誕三人娘は、「花の中三トリオ」から「高一トリオ」に進級したが、青い性路線を走り始めた山口百恵を含めて、森昌子、桜田淳子と3人が、それぞれの路線を確立して突き進んでいく時期である。
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