風吹ジュンは若い頃から女優として魅せ方にこだわっていた

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風吹ジュンは若い頃から女優として魅せ方にこだわっていた
風吹ジュンの当時25歳のインタビューが話題になっている。『東京スポーツ』(2016年3月8日付)の「よみがえる青春の女性」という連載コーナーで、現在も活躍する女優の1970年代のインタビューを、当時の写真付きで再録したものである。『原子力戦争/Lost Love』の公開を間近に控えていたときに行ったインタビューという。

風吹ジュンは、1952年5月12日生まれで、富山県高岡市と京都市山科区育ったという。

1973年、初代ユニチカマスコットガールに選ばれ芸能界にデビュー。

『じんじんの仁』(1974年、東京12チャンネル)に、桜小路マリ子という主人公が憧れるヒロインで出演した。

主人公の日の下金太郎は消えてしまったが、風吹ジュンはその後も芸能界で活躍した。

アイドルでありながら、『三ツ矢フルーツソーダ』のCMでは、ノーブラのタンクトップで胸ポチを見せるなど、若い頃からかなり開放的なキャラクターだった。

そして、学歴や年齢の詐称が芸能マスコミに書かれ、しばらくテレビ出演がなくなった。

アイドルなら、そこで芸能生活が終わってしまうところだが、風吹ジュンは女優として芸能界に戻ってきた。

そのときのインタビューを再録したのが、『東京スポーツ』(2016年3月8日付)の「よみがえる青春の女性」という連載コーナーである。

『東京スポーツ』(2016年3月8日付)

インタビューで、風吹ジュンはこうコメントしている。

「(完成した映像を目にして)自分の部屋にいる顔に映ってるのね。普段の顔っていうか、一緒に見た人に『テレビで見ると別人みたいに見えるけど、今度はちゃんとジュンらしく見えた』って言われたの」

やはり、自分がどう見えるかを気にかけている。

もちろん、芸能人であればそれは当然なのかもしれないが、「若く見られたい」「綺麗に見られたい」ではなく、「ジュンらしく見えた」というところに価値を感じているところに哲学というか、確固たる価値観を感じる。

だからこそ、アイドルと呼ばれる年齢を過ぎても、自分の道筋がわからなくならずに、女優としての実績を積み重ねることができたのだろう。

脱ぐことは辞さなくても脱ぐだけの女優ではない

風吹ジュンは、78年に『蘇える金狼』(1979年)で、松田優作を相手に大胆なシーンを演じている。

また、その頃、雑誌にヌードも披露した。

そして、81年に川添象郎氏と結婚。

その翌年の『馬を売る女』(1982年10月23日、TBS)というサスペンスドラマでは、既婚者としての出演になるが、泉谷しげるを相手に、トップレスになって大胆な濡れ場シーンを演じている。

主人公が、妻子ある男にのめり込んでいく大切なシーンではあるが、布団の中でもぞもぞとそれらしい動きをしておけば形になったのに、わざわざ本当に脱ぐ必要もないようにも思えた。

いくら役者といっても、既婚者がそのような大胆なシーンを演じると、観ている方が逆にハラハラしてしまう。

決して出し惜しみしないのである。

風吹ジュンは、びっくりするほどグラマーというわけではないが、バランスがとれたプロポーションであり、男性ファンのつい気になってしまう気持ちに応えるように、脱いでくれるのだ。

しかし、だからとって脱ぐことを売り物にはしない。

以前記事にした、『特捜最前線』の第215話『シャムスンと呼ばれた女!』では、脱ぐシーンも、艶技シーンも一切なく、生きることをはかなんだ覚せい剤常用者のシャムスンを演じた。

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最近は、60歳過ぎたのに熱愛報道がある。

もちろん、スキャンダルという趣ではなく、いつまでも若い風吹ジュンにびっくりするという趣旨である。

風吹ジュンには、これからも一層の活躍を期待したい。

おとなスタイル 2016年 01 月号

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/11/25
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