クレージー映画、もしくは東宝クレージー映画といわれる、1960年代の東宝映画の屋台骨を支えてきたシリーズについて簡単に振り返りたい。まだ書いていないレビュー記事はおいおい書くとして、とりあえず全体をまとめる記事を今回は書いてみたい。
植木等・クレージー映画は、1962年~1971年暮れにかけて製作された全部で30作ある。
植木等主演の無責任シリーズ、日本一シリーズ、クレージーキャッツが全員出演するクレージー作戦シリーズ、時代劇などがあり、全作品カラー、シネマスコープである。
そのうち26作は、『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(講談社)など、これまでにも発売されてきた。
ところが、残りの4作は、ビデオやDVDとして発売されていなかった。
その理由は、権利関係の問題があったということだろう。
制作が東宝ではなく、脚本家・田波靖男の事務所や渡辺プロダクションだったからである。
クレージー映画の凋落と、邦画界自体の凋落が重なり、1960年代終盤から70年代前半にかけて、日本の映画会社は大きく揺れた。
大映は倒産。東映は東映フライヤーズを身売り。
東宝は、制作部門を分社化して、専属俳優との契約を打ち切った。
それにより、マニアにはお馴染みの大部屋俳優たちが路頭に迷い、引退を余儀なくされた。
そんな中で、東宝は、クレージー映画シリーズについても、26本目で自社の制作から手を引いたのではないだろうか。
かつて、森繁久彌が、世界のクロサワ映画は自分が支えていると述べたことがあるらしいが、1960年代を支えた人気シリーズは、社長シリーズ、喜劇駅前シリーズ、若大将シリーズ、そして、植木博・クレージー映画などであり、それらが東宝を経済的に支えたのは間違いないことである。
にもかかわらず、稼げなくなれば打ち切られるのだ。
おそらく、義理堅い渡辺普社長は、功労者である植木等およびクレージーキャッツの映画を、なんとか区切りの30作まで作りたいという気持ちで、残りの4作は自社制作で頑張ったのではないだろうか。
その「未公開」4作は、マニアにとって長い間待ち焦がれていた作品だった。
それが、2015年に、日本映画専門チャンネルと、時代劇専門チャンネルの共同企画である「植木等劇場」の枠で放送されたのである。
マニアにとっては垂涎モノの企画だったわけだ。
無責任シリーズから日本一シリーズへ
「植木等劇場」が、第一弾として2015年1月1日に放送したのは、もちろん、東宝クレージー映画の第一弾である『ニッポン無責任時代』(1962年)である。
そして翌日の2日は、引き続き植木等主演の無責任男第2弾の『ニッポン無責任野郎』(1962年、東宝)が放送された。
『ニッポン無責任野郎』は、いわゆるお正月映画である。
当然、映画会社各社にとってはかきいれどきでもあり、看板作品を配給する。
すなわち植木等主演の映画「無責任シリーズ」は、2作目にして東宝の目玉商品になったのだ。
中でもマニアの評価は、『ニッポン無責任野郎』の方が高いが、私の感想は、『ニッポン無責任時代』の方がよかったなという感じがする。
簡単に述べれば、『ニッポン無責任野郎』は、「やり過ぎ」なのである。
『ニッポン無責任時代』は、無責任=ちゃらんぽらんではなく、既存の価値観からの「自由」という意味であった。
決してC調オンリーではなく、騙されたり裏切られたりもしている。
それでも全くめげず、底抜けの明るさで、大きなホラやデマカセで自らの退路を断って成果を得る、というパターンだった。
ところが、『ニッポン無責任野郎』は、冒頭シーンから続けざまに、物をちょろまかしたり人を騙したりなど、ただのならず者に脱線しており、同じ「無責任」でもその中身は全く異なって見えた。
「社長シリーズ」など、健全なサラリーマンシリーズを撮っていた東宝としては、これはまずいと思ったのだろうし、行き着く先は犯罪者として検挙しかなくなってしまう。
つまり、ストーリー的にも限界が見えてしまう。
そこで、社風も加味して、その破天荒キャラを、より健全な方に軌道修正したのが、3作目からの日本一シリーズなのである。
東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年 5/21号 [分冊百科]
- 作者:
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/05/07
- メディア: 雑誌
コメント