川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)は大映時代2枚目俳優として活躍。テレビはドラマや『アフタヌーンショー』などをつとめる

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川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)は大映時代2枚目俳優として活躍。テレビはドラマや『アフタヌーンショー』などをつとめる

川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)の生まれた日です。大映時代は2枚目俳優として売り出し、ドラマや司会も活躍しました。『アフタヌーンショー』の司会者としても知られていますが、晩年は世捨て人のような人生を選びました。

川崎敬三さんは、神奈川県川崎市で生まれました。

ということで、大映時代は、若手2枚目俳優に、品川隆二、川崎敬三、鶴見丈二と芸名を付け、京浜東北線トリオとして売り出しました。

少しあとからは、本郷功次郎もデビューしたので、京浜東北・根岸線カルテットになったんですけどね。

テレビに移ってからは、少しコミカルな2枚目、そして、『アフタヌーンショー』の司会者としても知られています。

Copilotに代表作を尋ねました。

– **主な出演作品**:
– 映画:
– 「夜の河」(1956年)
– 「満員電車」(1957年)
– 「白鷺」(1958年)
– 「赤い水」(1963年)
– 「傷だらけの山河」(1964年)
– 「恐山の女」(1965年)
– テレビドラマ:
– 「サザエさん」(1965年、TBS)
– 「松本清張シリーズ 中央流沙」(1975年、NHK)

https://shiseiweb.com/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A9%E7%AF%80%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%91%E3%81%A9%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AD%E3%81%87

『アフタヌーンショー』は、前任者の山田吾一がスキャンダルの引責で降板したため、急遽指名されましたが、以後12年間、1日も休まず司会を勤め上げました。

加東康一・梨元勝の芸能コーナー(金曜日)、ばばこういちの「納得いかないコーナー」(火曜日)など人気コーナーが次々誕生。


毎週火曜日の事件をリポートするコーナーでは、リポーターの山本耕一さんとのやりとりを、漫才コンビであるザ・ぼんちに「そぉーなんですよ、川崎さん」とネタにされ、おりからの漫才ブームで番組まで脚光を浴びることになりました。

満員電車(1957年、大映)


満員電車(1957年、大映)は、名門平和大学を卒業した茂呂井民雄(川口浩)が、同級生の女性との関係を清算し、大手ビール会社の尼ヶ崎支社総務部に勤務します。

ところが、父(笠智衆)から、母(杉村春子)が発狂したと知らせが入り、医学博士の助手をしている和紙破太郎(川崎敬三)に、月2000円で診察とカウンセリングを依頼。

しかし、実は真面目な父親が精神病だったことが明らかになります。市川崑監督によるブラックユーモアと社会の真実を描いた異色の作品で、川崎敬三さんの代表作の一つに数えられています。

新・だいこんの花


新・だいこんの花(1972年1月6日~6月29日、テレビ朝日)は、当時同局で人気シリーズだったホームドラマ。

松木ひろし、向田邦子の脚本で全部で5シリーズ制作されました。

その都度、設定は違うが、基本的なストーリーは共通しています。。

森繁久彌と竹脇無我の「永山」親子で父子家庭。母親は清楚な「だいこんの花」のような人だった(加藤治子)。

竹脇無我は、シリーズごとに職業が変わりますが、がさつなお手伝いや、子連れの女性など、一見「だいこんの花」とは無縁の人と縁ができる。

しかし、一見違っても、実は中身は「だいこんの花」であり、女性にとっては「星の王子さま」との結婚という、昭和らしいラブコメになっています。

本作の竹脇無我は建築技師。同僚が川崎敬三で、その妹が大映時代の後輩になる関根恵子(後の高橋惠子)。

竹脇無我と関根恵子は結ばれ、川崎敬三は、竹脇無我の幼なじみの大原麗子と結ばれます。

身近なところでカップルができてしまうのも、昭和のホームドラマらしい設定ですが、私はこのドラマが好きで、DVD化されたものは全部持っています。

晩年

川崎敬三さん司会の『アフタヌーンショー』は、1985年にヤラセ事件が発覚して、番組ディレクターが福生署に逮捕。

局の屋台骨を支える人気番組は突然終了しました。

ところが、他の出演者がそれで路頭に迷っているのに、川崎さんちゃっかり後番組の『新・アフタヌーンショー』に出演してしまいました。

「だったら何のために打ち切ったの?」と逆に視聴者は反発。共演者たちとの関係も疎遠になり、さらに『新・アフタヌーンショー』も視聴率不振で、川崎敬三は芸能界に居場所を失いました。

その後、支援者の紹介で、宮城県古川市内にある『ホテル古川ゴールデンパレス』の支配人におさまります。

が、「僕には何の決裁権もないし、結局は無能の烙印を捺され、罷免されたんです」(『週刊文春』2001年8月23日号)と、そちらも長続きせず、晩年は『アフタヌーンショー』皆勤で貯めたお金で得た、神奈川県藤沢市内のアパート収入(12部屋で合計50万)で暮らします。

そして、本人は、世捨て人のような放浪の旅を続けていましたが、最晩年は認知症でそれがままならなったようです。

川崎敬三、「遺言」通り4ヶ月遅れの訃報の真相
川崎敬三が7月に亡くなっていたことが、かつて出演していた『アフタヌーンショー』の放送局であるテレビ朝日から発表された川崎敬三自身は、すでに14年前の週刊誌インタビューで、亡くなっても公表しないことを妻に告げていると予告していた。

世捨て人時代のインタビューが『週刊文春』(2001年8月23日号)に掲載されたことがありますが、顔写真はありませんでした。

『週刊文春』(2001年8月23日号)
『週刊文春』(2001年8月23日号)

おそらくは、映画やテレビに出ている頃とは別人のようになり、イメージを大切にした川崎さんが撮影を断ったのでしょう。

「自分で納得していますから。家族ともほとんど没交渉だし、友人も見事にいません。僕は世間とのつながりを失った代償に、自由を得たと思っている。気がねしながらひっそりと暮し、人知れずサヨナラするつもりです。家内には葬式無用、誰にも知らせるな、と遺言してあるんですよ」(インタビューより)

実際に葬式は家族だけ。関係者は翌年の喪中はがきで初めて訃報を知ったと言います。

さて、みなさんは、これを「スターの寂しい晩年」ととらえますか。

それとも、生きとし生けるものの本来の姿である「静かな生涯の閉じ方」と積極的に受け止められますか。

以上、川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)は大映時代2枚目俳優として活躍。テレビはドラマや『アフタヌーンショー』などをつとめる、でした。

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