川崎敬三が7月に亡くなっていたことが、かつて出演していた『アフタヌーンショー』の放送局であるテレビ朝日から発表された川崎敬三自身は、すでに14年前の週刊誌インタビューで、亡くなっても公表しないことを妻に告げていると予告していた。
4ヶ月遅れの訃報にびっくりする向きも多いが、真相はそういうことだったのだ。(画像は『新だいこんの花』より)
インタビューを行ったのは、『週刊文春』(2001年8月23日号)である。
おそらくは、最後のインタビューになるのだろう。
記事に近影はない。川崎敬三本人が固辞した可能性が高い。
かつての大映の2枚目も、おそらく芸能界を引退、というより廃業して10年以上たち、ごく普通の高齢者になっていたのだろう。
それとも、見てくれの問題ではなく、芸能界を引退した「余生」にこだわったということだろうか。
そういった前置きはともかくとして、『週刊文春』(2001年8月23日号)における川崎敬三のインタビュー記事は、次のようなことが書かれていた。
「そォなんですよ」川崎敬三さん
「葬式無用」のフーテン暮らし
「もう、私は過去の人間ですから」
ソフトな語り口でこう謙遜するのは、往年の個性派俳優、川崎敬三氏。かつて人気番組「アフタヌーンショー(テレビ朝日系)で司会者を務め、「そォなんですよ、川崎さん」の名文句でも知られる、あの人である・
氏か芸能界の表舞台から身を退いて十三年り“引退”のきっかけは、八五年に起こった同番組のヤラセ事件だった。
番組ディレクターが福生署に逮捕され、その責任をとって降板を表明。番組は急遽、打ち切りになった。一年半後、装いも新たにっ『アフタ』は再スタートをきるが、視聴率低速でブラウン管から完全に姿を消してしまう。
その二年後(八八年春)に公開された『恋はいつもアマンドピンク』(樋口可南子主演)の脇役を最後に、氏は芸能界の一線から退いた。
失意の川崎氏に助け船をだしたのは長男夫婦の仲人でもあった旧民杜党の立役者、故・春日一幸氏だった。
「最初の降板から半年くらいたった頃、春日さんに師事していた代議士の方が、“凄い実業家を紹介してあげる”と、声をかけてくださったんですよ」
その実業家こそ、後年『ナニワの闇金融王』の異名をとる中岡信栄氏(本姓は垣端)だった。中岡氏は焼鳥屋から身を起した身を起した立志伝中の人物で詳しい経歴はいまだ謎に包まれている。
中岡氏は八〇年頃、旧北海道拓殖銀行幹部に近づき、拓銀系列ノンバンク『エスコリース』を経由した二千億円を超える不正融資に関与。大蔵官僚のタニマチとしても一躍有名になった。
“浪人中”の川崎氏は、誘われるまま中岡氏傘下の企業に雇われ社長として迎えられた。宮城県古川市内にある『ホテル古川ゴールデンパレス』。人口七万人弱の同市には、これといった観光地はなく、唯一、農業試験場ががササニシキ、ヒトメボレの“故郷”として知られている。
報酬は月額百万円。登記簿謄本によると、川崎氏は八六年五月に取締役に就任。八九年七月に代裡取締役に昇格し、丸四年間、同職を務めた。
「正直いって、あのホテルにはいい思い出がないんです。最初のの一年間はお客さんにビールを注いで回ったりしていたのですが、そのうちに“数字をもってこい!”と、アゴで使われるようになっちゃって……。僕には何の決裁権もないし、結局は無能の烙印を捺され、罷免されたんです」
この後、川崎氏は世間的なつながりをいっさい絶ってしまう。現在にいたるまで、氏の収入を支え続けたのは、四十三歳の時に購入した神奈川県藤沢市内のアパート収入(十二部屋)だ。
「いまも月々五十万円はどの収入になります。父の借金で苦労した経験があるものですから、こつこつとおカネを貯めましてね。貯金した七百万円を頭金に、野原同然の土地(百三十坪)を買い、アパートを建てたんです」
アフタヌーンショーの出演料は、一回二十七万円。番組打ち切りまでにローンを完済できたのは、本当にラッキーだった」と川崎氏は語る。
現在、長男夫婦と住んでいる東京都世田谷区内の豪邸(鉄筋三階建て7DK)は、二十八年前に自宅マンシションを売って購入した。土地家屋合わせて約1億円したという。
今年五月、川崎氏は愛車のロールスロイス・コーニッシュ(新車価格は購入当時で約五千万円)を五十万円で手放した。今後も隠居し続けるつもりだ。
「いっさい仕事をせず、勝手気ままに生きてます。好きな釣りもやめ、いまは大工仕事が趣味みたいなもんですかね。ふらりと電車に乗って、知らない町を散歩したり、そんなフーテンみたいな生活を送っているんですよ」
ー淋しくはないですか?
「自分で納得していますから。家族ともほとんど没交渉だし、友人も見事にいません。僕は世間とのつながりを失った代償に、自由を得たと思っている。気がねしながらひっそりと暮し、人知れずサヨナラするつもりです。家内には葬式無用、誰にも知らせるな、と遺言してあるんですよ」
文末がポイントである。
つまり、今回の4ヶ月遅れの訃報は、本人の意向によるものだったのである。
おそらくは、世話になったテレビ朝日にだけは賀状ぐらいの付き合いが残っていて、川崎敬三が亡くなったことで欠礼のお知らせでも出しのではないだろうか。
「世捨て人」になったのは、おそらくホテルの支配人を罷免されたことが大きいだろう。
ワイドショーの司会で、芸能人の離婚問題などを取り上げてきた以上、今更俳優には戻れない。
つまり、失職である。
そのような困ったときに、ホテル支配人の話が来た。
しかし、雇う側からすれば、一般人の定期雇用ではなく、川崎敬三だから雇ったのだろう。
要するに、普通の社員の100万円にあたる仕事をさせるのではない。
仕事がなくて困っている人間だからと恩に来て、100万円の月給で、200万、300万相当の恩を売りつけた思いなのだろう。
ところが、川崎敬三も一生懸命やったのだろうが、知名度だけでホテルの売上が上がるわけではない。
4年たち、世間から忘れられた頃、川崎敬三は“200万、300万”稼げないと見切られ、使い捨てられて罷免されたのである。
もちろん、雇う側が、より効率よく搾取できることを求めるのは、資本主義として「あり」である。
しかし、川崎敬三からすれば、人が一番困っている時に、その弱みに付け込み、勝手に恩に着せ、挙句に人を無能扱いして罷免された、ということになる。
自分自身がスポイルされ、人間(の善意)も信じられなくなったのではないか。
かといって、社会人として生きていくには、人とかかわらなければならない。
クライアントや、雇い主のいない仕事も存在しない。
それが、いきおい世捨て人の選択へとつながっていったのではないだろうか。
川崎敬三のケースと同じではなくても、世の中にはそんな話はよくある。
困ったときに手を差し伸べてくれる人は、必ずしも打算的とは限らないが、残念ながら、人の弱みにつけこむ打算的な人間は確実に存在するのである。
映画、テレビドラマで活躍
川崎敬三の経歴や過去の出演作品などは、今更あれこれ語らなくても、ネットで調べればいくらでも出てくる。
その中でどれかひとつというと、『アフタヌーンショー』と同じテレビ朝日(当時はNET)で放送されていた、『新だいこんの花』(1972年1月6日~6月29日)を思い出す。
「だいこんの花」シリーズは、脚本松木ひろしでスタート。やがて向田邦子がメインライターとなり、全部で5シリーズ制作された。
その都度、設定は違うが、基本的なストーリーは共通している。
森繁久彌と竹脇無我の「永山」親子で父子家庭。母親は清楚な「だいこんの花」のような人だった(加藤治子)。
竹脇無我は、シリーズごとに職業が変わるが、がさつなお手伝いや、子連れの女性など、一見「だいこんの花」とは無縁の人と縁ができる。
しかし、一見違っても、実は中身は「だいこんの花」であり、女性にとっては「星の王子さま」との結婚となる。
竹脇無我の職業は毎回変わるが、『新だいこんの花』では、建築技師である。
一方、森繁久彌は戦争時代艦長で、部下たちが近所に住んでいる。
『新だいこんの花』では、大坂志郎と牟田悌三である。
森繁久彌は彼らをいつも振り回す。
大坂志郎の後添えは加藤治子(2役)
牟田悌三の妻の春川ますみは、森繁久彌のわがままに「ちょっと、永山さん!」とブチ切れる。
しかし、加藤治子はいつもニコニコして「だいこんの花」になっている。
そして、川崎敬三だが、竹脇無我の同僚で、関根恵子(高橋恵子)との元大映コンビで2人きりの兄妹である。
川崎敬三は、熱心に栄養士の妹を竹脇無我に勧める。
竹脇無我は、大坂志郎の娘(武原英子)と幼なじみで、少なくとも武原英子は、竹脇無我に気があった。
しかし、最初は行き違いもあったが、竹脇無我は関根恵子(高橋恵子)と結婚する。
ちなみに、牟田悌三と春川ますみの娘役で大原麗子も出演しているが、川崎敬三と結ばれることになっている。
この2人といえば、その4ヶ月後に始まった『雑居時代』(1973年10月3日~1974年3月27日、ユニオン映画/日本テレビ)でも共演している。
しかも、そのときの大原麗子の父親役は大坂志郎で、脚本は松木ひろし。
ただ、そのときは、川崎敬三は、大原麗子に一方的に熱を上げる怠け者の山岳写真家・稲葉勇作役で、結局は主役の石立鉄男に譲り、『アフタヌーンショー』に出演するからか、それとも最初からそうだったのか、第18回でストーリーから消えた。
ま、いずれにしても、川崎敬三といえば、大映の映画俳優としてデビューしたが、テレビでも活躍したということだ。
しかも、70年代の、古き良き、昭和的ほのぼの感の漂うホームドラマに欠かせない役者だったということだろう。
その意味では、川崎敬三自身は現役を退いていたとはいえ、訃報は、また昭和の残り火が一つ消えたという寂しさを感じずにはいられない。
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