『冬色の街』は、桜田淳子25枚目のシングルである。作曲はしばらく桜田淳子の作品から遠ざかっていた中村泰士。ぐっと大人になった、そしてジャケットにも意味をもたせた深い歌である。ただ、アイドルとしての王道を歩んできた彼女にとって、少なくともセールスとしては厳しい時期に入ってしまった。
ジャケットにうつる桜田淳子は、恋を表すピンク色ではなく紫の衣装を着て、右膝を立ててあぐらをかくような格好で座っている。その危うい姿は詞を反映しているようだ。
詞は淳子ワールドとしてはいささかシリアスである。他に好きな人ができて、「きれいな恋なのよ」と相手に言い訳しながら心変わりを伝えるのだ。図々しい話といえばそれまでだが、桜田淳子だとありえない話でもないような気がする(笑)
そして、はじらいを取り払い、紫を着ることで、相手に対する醒めた気持ちを表現していると見ることができる。つまり、ジャケットは歌の具現になっているのだ。
いずれにしても、中島みゆきが歌を提供して以来、ずいぶん大人の歌になったような気がする。
B面の曲を提供した小杉保夫は、「花の中三トリオ」の一人だった森昌子の『ほお紅』(1984.10.5)、桜田淳子の『冬色の街』(1978.12.25)などを手がけている。
萩田光雄は『20才になれば』(1978.9.5)、『冬色の街』(1978.12.25)、『白い約束』(1975.12.21)など桜田淳子の曲や、『愛に走って/赤い運命』(1976.03.21)、『横須賀ストーリー』(1976.6.21)、『初恋草紙』(1977.01.21)、『夢先案内人』(1977.04.01)、『イミテイション・ゴールド』(1977.07.01)、『乙女座宮』(1978.02.01)、『絶体絶命』(1978.08.21)、『美・サイレント』(1979.03.01)、『愛の嵐』(1979.06.01)、『しなやかに歌って』(1979.09.01)、『愛染橋』(1979.12.21)、『ロックンロール・ウィドウ』(1980.05.21)、『さよならの向う側』(1980.8.21)、『一恵』(1980.11.19)など、後期の山口百恵の曲を手がけている。
『冬色の街』(1978.12.25)
冬色の街/メッセージラブ
作詞者 A面:橋本淳 B面:一ツ橋けい子
作曲・編曲者 A面:中村泰士(編曲:萩田光雄) B面:小杉保夫(編曲:萩田光雄)
ビクター音楽産業
この年に成人にっなた桜田淳子にとって、大人の女性を歌った大切な一曲ではあるのだが、セールスは6万枚、オリコンの最高順位も29位に留まった。
『リップスティック』が19.6万枚、『20才になれば』が11.7万枚、そして今回が6万枚と徐々にレコードの売り上げが下がっている。彼女ほどの実績とキャリアを考えると、この時代にヒト桁のセールスというのはヒットしたとは言いがたい。
歌自体はいいものだけに、数字は冷酷だ。アイドル歌手として確固たる地位を築いた彼女にとって、大人の女性を歌うことがいかにむずかしいかということだろう。
子役として成功した者が、なかなか大人になっても役者として成功するのがむずかしいことに通じるのかもしれない。イメージの問題もあるのだろう。
桜田淳子自身も、長谷川一夫との共演で舞台を経験したことで、歌手から女優としての方向性を強く意識しはじめたのかもしれない。
この後、彼女はまたテレビや映画などに進出していくのだ。
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