『絶体絶命』は、山口百恵23枚目のシングルである。オリコン第3位は大ヒットではないが手堅いセールスといえる。この年の暮れの映画は文芸論に戻って『炎の舞』に出演した。横須賀ツッパリ娘路線で歌にしても映画にしても新しい道に進み始めたが、まだ試行錯誤が続いている時期といえるかもしれない。
今回のアテンションワードは「やってられないわ」。「プレイバック!」ほどのインパクトはなかったのか、オリコンは3位だった。1位にあったのは堀内孝雄『君のひとみは10000ボルト』。
これまた矢沢永吉に続く資生堂のCMキャンペーンソングだった。企業やメディアが一体になったプロジェクトは強い。「やってられないわ」も流行語にはなり得るが、ヒットするフレーズとしては弱かったのかもしれない。
『絶体絶命』(1978.08.21)
絶体絶命
作詞者 阿木燿子
作曲・編曲者 宇崎竜童(編曲:萩田光雄)
CBS・ソニー
この年の暮れの映画は『炎の舞』に決まった。同作は加茂菖子の小説『執炎』を原作とし、64年に浅丘ルリ子と伊丹一三(後の十三)が主演した同名映画が作られている。
つまり、『ふりむけば愛』でいったんはオリジナル作品、しかも山口百恵のセミヌードという大きな仕掛けまで作りながら、9本目はまた文芸作品のリメイクに戻っているのである。どうしてオンリーワンの青春路線を構築できなかったのだろうか。
もしかしたら、単純に興行収入や、ふさわしい作家との巡り合いがなかったからかもしれない。
歌にしてもそうだが、よくいえば、ひとつの路線、方針に拘りたくない、という山口百恵の意志や、事務所の山口百恵に対する期待のようなものをそこには感じる。意地悪に見れば迷いである。
いずれにしても、それが、結局は日本レコード大賞のようなナンバーワン賞や、映画でも自分のオンリーワン路線を作りきれなかったことにつながっている。
生涯記録としてはレコード売り上げが第3位であるが、ひとつひとつの歌では歴史に残るような大ヒットというのはなく、安定した流行歌手の粋を出ていないのだ。
つまり、落ち目でない時にやめた伝説こそ強烈だが、果たしてスーパースターといえるのかという点については議論が残ることは否定出来ない。
まあ少しシビアな見方をすれば、むしろピンク・レディーのようにオリコン常時1位や、音楽賞の大賞を取れないということで、人気者からスーパースターへのさらなる進歩のために、いろいろな実験をしていたということもいえるかもしれない。
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