『20才になれば』を歌い長谷川一夫の舞台に呼ばれた桜田淳子

『20才になれば』は、桜田淳子24枚目のシングルである。『追いかけてヨコハマ』以来の中島みゆきによる作詞・作曲提供の歌である。少女から女性の歌へ変わる時期、他の少なくない女性歌手がそうであるように、彼女もまた、中島みゆきの歌を歌った。

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船山基紀は、『あなたのすべて』(1977.2.25)、『気まぐれヴィーナス』(1977.5.15)、『もう戻れない』(1977.9.5)、『しあわせ芝居』(1977.11.5)、『追いかけてヨコハマ』(1978.2.25)、『美しい夏』(1980.4.21) 、『玉ねぎむいたら』(1981.5.1)など後期の桜田淳子の曲を手がけるだけでなく、『横須賀ストーリー』(1976.6.21)、『パールカラーにゆれて』(1976.09.21)など、山口百恵の曲もアレンジしている。

『20才になれば』(1978.9.5)

20才になれば
20才になれば/サマータイムブルース
作詞者 A面:中島みゆき B面:松本隆
作曲・編曲者 A面:中島みゆき(編曲:船山基紀) B面:筒美京平(編曲:萩田光雄)
ビクター音楽産業

この時期、桜田淳子には将来の選択に影響を与えるような大きな出来事があった。長谷川一夫の東宝歌舞伎『おはん長右衛門』(78年10月)に呼ばれたのだ。

長谷川一夫は、それまでに名だたる女優との共演を次々実現してきたが、さすがにアイドル歌手という例はなかった。桜田淳子は当時のことをこう述べている。

「事務所から聞かされたのは、その年(昭和五十三年)の三月頃でした。えっ!と驚くような感じじゃなかったんです。/こんなふうにいうと、生意気に聞こえちゃうんですけど、私って、わりと、予感みたいなのがあって、それが鋭いんです。もうそろそろこんなものでもやりたいなあ、やってもいいなあって思っていると、大抵、そういう話がくるんです。その時も、やっぱり、そんな感じがしてて、ヒョンとこのお話をいただいて、すーっと心がそっちへ向いていったみたい」

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「先生と、初めてお会いしたのは、四月になってからで、先生のお宅へご挨拶に伺ったのです。そして、いろいろと、お話をするうちに、長谷川先生は、私の映画『若い人』(五十二年五月公開)をご覧になっていて、それで、『この子がいいね』とおっしゃったということがわかったんです。その言葉をきいて、何だかほっとしましたね。私みたいな小娘を、なぜ先生が……って思ってたから。それで、気が楽になったの」(『桜田淳子資料館』)。

以来、桜田淳子は、帝劇や東京宝塚など大きな劇場で司葉子や淡島千景らと舞台に共演。テレビや映画だけでなく、舞台の実績も積み重ねた。これは森昌子や山口百恵にはない本格女優としての輝かしい経歴である。

芝居の世界では、板の上(舞台)>土の上(映画)>スタジオ(テレビ)という考え方が未だにある。まあ映画とテレビの序列については、映画がかつて(70年代中盤ぐらいまで)の興行形態とは異なっているのでまた違う解釈があるかもしれないが、舞台こそその根源と見る考え方はまだ健在である。

森昌子も最年少座長をつとめたことがあるが、それは森昌子ショーでのことで、既存の大物俳優が出る舞台劇で演じる経験は森昌子も山口百恵にもない。

アイスルジュンバン

アイスルジュンバン

  • 作者: 桜田 淳子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/11/24
  • メディア: 単行本

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