川島雄三さん(1918年2月4日~1963年6月11日)は昭和中期、松竹、日活、東京映画、大映などでメガホンをとった映画監督

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川島雄三さん(1918年2月4日~1963年6月11日)は昭和中期、松竹、日活、東京映画、大映などでメガホンをとった映画監督

川島雄三さん(かわしまゆうぞう、1918年2月4日~1963年6月11日)の命日です。松竹、日活、東京映画、大映などでメガホンをとった映画監督です。『洲崎パラダイス赤信号』『幕末太陽傳』『女は二度生まれる』などの様品が知られています。

川島雄三監督は、戦後から本格的な映画作りを始めました。


作風は多岐にわたりますが、Copilotに尋ねたところ、以下のような特徴があります。

川島雄三は日本の映画監督で、戦後から本格的な映画作りを始めました。彼の作風は多岐にわたりますが、以下のような特徴があります。

1. 軽妙な風俗喜劇:
– 初期は人情喜劇を中心に、人情の機微をコメディタッチで描いていました。
– 代表作には大阪を舞台にした「わが町」や「暖簾」があります。

2. 重喜劇の元祖:
– 今村昌平や浦山桐郎らの助監督として経験を積んだ川島は、「重喜劇」と呼ばれる作風を確立しました。
– 他にも作家の織田作之助と親交が深く、デビュー作も織田の原作によるものでした。

3. 幅広いジャンルへの挑戦:
– 重喜劇から奇矯な作品、叙情的なメロドラマ、文芸作まで、さまざまなジャンルを手がけました。

川島雄三は、日本映画史に燦然と輝く名作を残し、その作風は多様で魅力的でした123?。?

ソース: Copilot との会話、 2024/6/11
(1) 実は黒澤明並みにスゴい!?軽妙喜劇の鬼才・川島雄三を徹底 …. https://ciatr.jp/topics/310513.
(2) 川島雄三の世界:映画の鑑賞と批評. https://movie.hix05.com/Japan5/kawashima.index.html.
(3) 川島雄三 – 人物情報・関連映画 – キネマ旬報WEB. https://www.kinejun.com/person/view/107575.
(4) 川島雄三:プロフィール・作品情報・最新ニュース – 映画.com. https://eiga.com/person/25254/.
(5) 『わが町(1956/川島雄三)』あらすじ&キャスト役柄の詳細と極 …. https://www.charliessalon.com/our-town-1956/.

ということで、そのなかの2つの作品を振り返ってみます。

幕末太陽傳


東海道品川宿・相模屋を舞台にした時代劇です。

舞台は東海道品川宿。遊女屋相模屋です。

佐平次(フランキー堺)は、文無しのくせにそこで遊んだために、宿の主人夫妻(金子信雄、山岡久乃)は居残り奉公をさせることに。

でも要領の良い佐平次は、下働きの奉公だけではおさまりません。

宿の息子・徳三郎(梅野泰靖)と、女中のおひさ(芦川いづみ)の仲のとりもちを10両で引き受けたり、御殿山英国公使館の焼打ちを謀っている泊客・高杉晋作(石原裕次郎)のために、出入りしている大工に公使館の地図を作らせたりして小金を稼ぎます。

そして、焼き討ちを見届けた佐平次は宿を発とうとしますが、看板女郎のおそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)から求愛を受けます。

しかし、結核を患っている佐平次は、自分の将来もわからないのでどちらも断ります。

フランキー堺の、麻布中学の同級生である小沢昭一も出演。加藤武はナレーターです。

石原裕次郎が、フランキー堺を助演する形になっています。

石原裕次郎だけではありません。日活ダイヤモンド・ラインといわれた当時の主役組では、小林旭や二谷英明も五番手ぐらいの役で出ています。

二谷英明はそれなりにサマになっていましたが、小林旭に時代劇は似合いませんね。

当時の映画界は、序列がはっきりしていたはずですから、こういうキャスティングはかなり斬新なものだったと思います。

映画は、オープニングで、1957年当時の八ツ山橋と北品川の町並みを写します。

八ツ山橋
『幕末太陽傳』より

八ツ山橋は、京急線が品川を出て、次の駅の北品川に向かう所で、京急マニアの撮り鉄の聖地です。

京急八ツ山橋踏切

それだけでなく、東海道品川宿の説明板もたっています。

八ツ山橋の説明板

東海道品川宿の説明板

画面は引き続いて、遊郭の町である北品川の「カフェ街」がうつります。

舞台となった「相模屋」は、その後「さがみホテル」として名前を残していることを見せています。

前年に赤線が廃止されたので、町並みを写す最後の記録映画になったかもしれません。

「さがみホテル」は今はコンビニになっているものの、相変わらずご当地の名所として知られているそうです。

冒頭のシーンに映る橋は北品川橋かもしれません。

北品川橋
『幕末太陽傳』より

北品川橋

実在の場所を舞台とした作品というのは、たとえストーリーが架空のものでも、感情移入してしまうものです。

このへんは、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんが住んでいた設定でもあります。

洲崎パラダイス赤信号


1956年の日本映画『洲崎パラダイス 赤信号』は、東京の赤線地帯「洲崎」を舞台にした作品です。

優柔不断な男(三橋達也)と、遊女あがりの女(新珠三千代)の腐れ縁ですが、洲崎遊廓の人々の生活や男女関係の不可思議さを描いています。

レビューを見ると、この時代の東京を楽しんでいる人が多いですね。私もそうです。

景色とともに、当時の文化なども知ることができます。

本作はまず、当時は開閉していた勝鬨橋のシーンからスタートしています。

勝鬨橋
『洲崎パラダイス 赤信号』より

勝鬨橋が開閉するのは、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治、集英社)で、両さんの少年時代の話になるとしばしば出てきました。

勝鬨橋は、都電(38系統、錦糸町ー日本橋)も走っていましたが、廃止されたのは1972年11月だったので、テレビドラマ『パパと呼ばないで』でも観ることができます。

あとは当時の秋葉原が見どころです。

北側から中央線を撮っているシーンだと思います。橋はもちろん万世橋でしょう。

秋葉原
『洲崎パラダイス 赤信号』より

河津清三郎がラジオ商として当てた役を演じていましたが、そういえば私も小学生時代、父に連れられてトランジスタラジオを買いに秋葉原に行きました。

現在の秋葉原とは、全く別の街でしょう。

惜しむらくは、川島雄三監督は短命(享年45歳)であったことです。

昭和35(1960)年(第11回生命表)の平均寿命は、男性65.32年、女性70.19年(国立社会保障・人口問題研究所)だそうですから、あと20年ぐらい生きて「平均」だったわけで、もし20年あれば、もっと仕事ができたでしょう。

長生きが必ずしもいいわけではない、ともいわれますが、やはり自己実現に「時間」は必要です。

長生きも人生の成功の一条件なんだなあ、なんて考えてしまいました。

お互い、体に気をつけて、なるべく長く現役で頑張りましょう(笑)

以上、川島雄三さん(1918年2月4日~1963年6月11日)は昭和中期、松竹、日活、東京映画、大映などでメガホンをとった映画監督、でした。

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