清水由貴子さんが、父親の眠る静岡・御殿場市の富士霊園で死亡しているのが発見されたのは2009年4月20日。今日で17回忌になります。父親を早くに亡くしたため高校を出てから芸能界で働き、母親の介護のために芸能界も引退しました。
清水由貴子さんの直接の死因は、父親の墓の前で袋をかぶり、硫化水素を吸った中毒死でした。
母親の介護をめぐる疲弊や、苦悩による「介護うつ」があったとされています。
傍には、車椅子の母親がいたので、自殺という発表を巡って、ネットではいろいろ取りざたされていますが、とにかく母親の介護が生前の彼女の生活にのしかかっていたこと間違いないし、また一般的に見ても、老親介護は大変なことなのです。
ただし、よく言われる、「食べられなくなったら人間は終わり」といって、「延命」(嫌な言葉だ)をひとからげに否定することも私個人は賛成ではありません。
以前も書いたように、介護というのは、「人生におけるその親子関係を振り返り、気持ちの整理をつけるかけがえのない時間」という価値もあるので、それを望む人にまで、紋切り型の「延命否定」はすべきではないと思うのです。
フレッシュ三人娘#高田みづえ ちゃん#榊原郁恵 さん#清水由貴子 さん pic.twitter.com/ocr16z1LRy
— miju0623 (@miju06231) September 15, 2022
いずれにしても、恵まれているとはいえない生い立ちの清水由貴子さん。
父親を早くに亡くしたため高校を出てから芸能界で働き、自分の力で家を建て、墓も建て直し、それでも足りないと、母親の介護のために芸能界も引退し、さらに自らの命まで……。
同年代で、似たような境遇の私はシンパシーを感じていたので、私にとっても他人事とは思えない出来事でした。
引退なんてもったいない、そんな時期に……
4月20日は #清水由貴子 さんの命日
「お元気ですか」などのヒット曲で、「ユッコ」の愛称で親しまれた清水由貴子(49)
静岡県内の父親の墓前で遺体で見つかる。硫化水素を吸ったとみられ、遺書もあった。そばには母親も倒れていたが、命に別条はない。清水さんは母親の介護を苦にしていた。#介護うつ pic.twitter.com/3PRR3RbhKn— 飛升次郎 (@tobimasu_jiro) April 19, 2025
そんな“憧れのゆっこさん”に、お話を伺ったのは、2002年9月のこと。
場所はTBS(赤坂)近くのテレビ関係者が使う喫茶店「Dingo」。
当時放送していたTBSの『ジャスト』でコメンテーターとして出演していたので、本番が終わってからそのまま直行していただきました。
私の妻が、ある雑誌のインタビューで清水由貴子さんのインタビュアーをつとめたときに、私も便乗していろいろ質問をさせていただきました。
ー「スター誕生」では、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞しましたね。
「あのときは家が裕福ではなかったので、ジーパンで会場入り。お昼は家から持参した塩むすびを、誰も見ていない非常階段のところで食べていましたねえ。それがもう、そのような望外の評価で大変嬉しかったです」
ーそういえば、デビュー曲の「お元気ですか」はギターを持ったジーパン姿、ミディアムのヘアスタイルで歌っていたのが思い出されますね。
「ギターは前から弾いていましたが、私はもともと三つ編みだったんですよ」
ーえ、そうだったんですか?
「あの頃の『スター誕生』は資生堂さんと提携していたんです。その関係で、出場者の10人ぐらいが決勝大会に進む前に、いちばん似合う髪型ということで美容研究所に連れて行っていただきました。私の場合、『この子はショートに』と一言アドバイスされ、三つ編みをバッサリ(笑)」
私が話を伺った当時は、テレビのコメンテーター(TBSの『ジャスト』)のほか、『七尾響子弁護士2』(テレビ朝日)、『電太郎一家』(テレビ新広島)、『ともちゃん家の5時』(山梨放送)など仕事に恵まれており、そのひとつひとつの意義を楽しそうに語ってくれました。
それだけに、所属プロの芸映をやめた時に贈られた年賀状に、「レポーターでいろんなところへ連れて行ってもらったり、教えてもらったり、感謝。楽しかった。ありがとう」との引退の挨拶がしたためられていたのが何ともやるせなかった。
引退なんてもったいない、そんな時期だったと思います。
年忌法要について
さて、十七回忌(17回忌)は、仏教における年忌法要の一つであり、仏教の行事です。
故人が亡くなってから満16年目(亡くなった年を1年目とする数え年で17年目)の祥月命日に行われる追善供養です。
この法要では、親族が集まり、僧侶を招いて読経や焼香を行い、故人を偲びます。
追善供養という概念がない浄土真宗は、故人のご縁によって遺族や参列者が仏法(阿弥陀如来の教え)に触れ、その恩徳に感謝し、報謝の思いを新たにするための場とされています。
年忌法要の起源は、仏教がインドから中国、日本へと伝わる過程で変化してきました。
インド仏教では死後四十九日までの法要が中心で、それ以降の年忌法要は行われていませんでした。
中国に仏教が伝わると、儒教や道教の「孝」の思想と結びつき、死者のための追善供養として一周忌や三回忌までの法要が行われるようになりました。
日本では、平安時代に貴族が自分の菩提寺で年忌法要を営むようになった記録があり、この頃から一周忌までの法要が行われていました。
鎌倉時代に入ると、浄土宗や禅宗などの新しい仏教宗派の広がりとともに、三回忌までの法要が一般化し、さらに七回忌や十三回忌、三十三回忌など日本独自の年忌法要が加わっていきました。
多くの仏教宗派では「弔い上げ」は三十三回忌や五十回忌で行うのが通例です。
ただ、十七回忌を「弔い上げ」とする宗派や地域は、一般的には少数ですが、存在します。
特に、現代では家族や親族の負担軽減のため、早めに弔い上げを行う家庭も増えており、その一環として十七回忌で弔い上げとするケースも見られます。いつまでもきりがないですからね。
ただし、これは宗派の公式な教義というよりも、地域や家ごとの慣習や事情によるものです。
みなさんの地域の弔い上げは、三十三回忌ですか、五十回忌ですか。

清水由貴子 私小説+4

日本人の仏教のしきたりものしり辞典: いざというとき困らないための仏事の心と作法 – ひろ さちや




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