『Gメン’75』(1975年5月24日~1982年4月3日)は、50年前に本格的なアクションや海外ロケで人気を得、7年も続いた連続ドラマです。

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『Gメン'75』(1975年5月24日~1982年4月3日)は、50年前に本格的なアクションや海外ロケで人気を得、7年も続いた連続ドラマです。

『Gメン’75』(1975年5月24日~1982年4月3日)は、50年前に本格的なアクションや海外ロケで人気を得、7年も続いた連続ドラマです。初期のレギュラーメンバーとして活躍した、藤田三保子と倉田保昭が当時を振り返る対談記事が、今週号の『週刊新潮』(2025年5月1・8日合併号)に出ています。(本文中敬称略)

昭和のTBS土曜午後9時は、東映が制作する人気ドラマ枠でした。

『キイハンター』『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』

50代後半以上なら、ご存知ではないかと思います。

その第4段が、50年前の1975年5月にスタートした『Gメン’75』です。

当初の予定では、『バーディー大作戦』がはやめに打ち切られ、東映とTBSとの間で、あと19回分放送の契約が残っており、それを消化するための企画だったのが、人気ドラマになって7年続いたそうです。

スタート時のメンバーは指揮官・黒木役の丹波哲郎をはじめ、原田大二郎、倉田保昭、岡本富士太、藤田三保子(当時は美保子)、藤木悠、夏木陽介の7人。

レギュラーメンバーが横一線、陽炎の舞う滑走路を歩くオープニングはおなじみで、今もYouTubeの東映チャンネルで確認することができます。

途中、メンバーチェンジしながら、計355話放送されました。

物語の設定は、警視庁本部から独立した特別潜入捜査班Gメン(正式部署名は警視庁Gメン本部)で、5人から6人が所属していますが、Gメンと警視庁のパイプ役として、警視庁側からも人が送り込まれています。

事件は、国内犯罪から国際犯罪まで、様々な事件を解決していくハードボイルドドラマです。

具体的には、沖縄返還後の米軍基地問題、 三億円強奪事件時効、ノーパン喫茶ブームなど、世相や流行をたくみに取り込みシリアスに展開しました。

丹波哲郎はいい人だった


倉田保昭は、東映出身のアクション俳優で、前作の『バーディー大作戦』から引き続き出演。

藤田三保子は、前年のNHK連続テレビ小説『鳩子の海』のヒロインに抜擢された、文学座出身の女優です。

『鳩子の海』は、子供時代を演じた斉藤こず恵のほうが脚光を浴び、藤田自身はその後のドラマの仕事がなかなか決まらず、『Gメン’75』は、彼女が旅行番組にリポーターとして出演するため日本を留守にしている間に、事務所が引き受けた「断る選択肢はなかった」仕事だったそうです。

当時の週刊誌報道では、彼女は女優としては背が大きすぎて、男優とのバランスから使うのが難しい、みたいなことが書いてあった記憶があります。

それはともかくとして、記事には、撮影時の裏事情や、亡きメンバーやスタッフとのエピソードが色々語られています。

「いい人」との評価で一致していたのは、丹波哲郎。

藤田「丹波さんにはスケールの大きさを感じたなあ。(撮影がハードで)朝10時にスタジオ集合の日、起きたら10時だった。 すっぴんのままタクシーを飛ばして着いたら、その日に限って丹波さんがいたの。慌ててメイクをしてからセットに出ると、 丹波さんが、『おい、三保子、 昨夜は何時に終わったんだ?』『午前3時です』『なに? それじゃあ、10時に始めるほうが悪い!』そう言ってくれて現場が笑いに包まれて、救われました。スタッフもヘトヘトだから、『俺たちも同感だ』という温かな反応だった。」

倉田「『倉田、お前の芝居は揺れているんだよなあ。 でも、下手なままでいい。ただし、ギャラは多くもらえ』そう言われた。/ギャラを多くもらえば、きっと金額に見合う俳優になるから、って(笑)。/撮影中、丹波さんとのからみで僕がうまくできないときがあるでしょ。 すると、目で『頑張れ!』って励ましてくれる。うまくやると『よく頑張ったな!』という目線をくれる。」

丹波哲郎といえば、改めてご紹介するまでもなく、たくさんのテレビドラマや映画の実績を残しました。

そのエピソードから見えてくるものは、

1.撮影所は遅れてくるし台詞も覚えない、他の俳優が同じことをしても咎めない
2.態度が大きく見える、スターだろうがエキストラだろうが誰にでも分け隔てなく同じ態度で接した
3.役作りはしない、自分のこだわりを持ち込んで監督と喧嘩もしない
4.売り込みはしない、来た仕事はギャラや予算や役の大小で区別しない

「が」より前の部分だけなら、とっくに芸能界から消えていたでしょう。

後ろの部分があるからこそ、長くやってこれたのでしょうし、多くの俳優やスタッフともえまくやってこれたのでしょう。

息子の丹波義隆が俳優としてデビューするとき、「喧嘩はしないこと(人間関係が大事)」と言い渡したそうです。

丹波哲郎は、軍隊時代はいくら一生懸命やっても、上官の川上哲治(元巨人監督)からリンチを受けていたのに、戦争が終わったら、「あのときは仕方なかった」と頭を下げる川上の巧みな処世術も経験しており、世の中まじめに努力すればいい、という単純なものではないが、さしあたって人間関係は大事だと悟ったのかもしれません。

現在のテレビ局スキャンダルにつながる告白も


まあ、「いい話」だけではなく、プロデューサーがセクハラまがいの行為があったことや、自分から降板したら、意趣返しでほかに決まっていた仕事も駄目になるように手を回されたとか、厳しい現実も告白されています。

今年もめている、フジテレビやTBSもそうですが、プロデューサーが、現場ではかなり専横的に振る舞っていることがわかります。

そういう内容ですから、『Gメン’75』をご存知の方も、初めて知った方も、興味深い記事だと思います。

ご存じの方が思い出せる、『Gメン’75』の名シーンやなどはありますか。

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