昭和芸能千一夜

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水原弘さん(1935年11月1日~1978年7月5日)は『黒い花びら』『君こそわが命』『へんな女』など、ヒット曲の実績と豪放磊落な生き方

今日は、水原弘さん(1935年11月1日~1978年7月5日)の47回忌です。『黒い花びら』『君こそわが命』『へんな女』など、抜群の歌唱力でヒット曲の実績もありますが、破天荒で無頼漢を気取った豪放磊落な生き方が周囲の誤解を招いた面は否めませんでした。
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川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)は大映時代2枚目俳優として活躍。テレビはドラマや『アフタヌーンショー』などをつとめる

川崎敬三さん(1933年7月1日~2015年7月21日)の生まれた日です。大映時代は2枚目俳優として売り出し、ドラマや司会も活躍しました。『アフタヌーンショー』の司会者としても知られていますが、晩年は世捨て人のような人生を選びました。
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坂本新兵さん(1935年4月16日~1996年6月30日)は、『ママとあそぼう!ピンポンパン』などに出演。1980年代以降は保護司として活動

今日は坂本新兵さん(1935年4月16日~1996年6月30日)の命日です。もう60代後半以上の人でないとわからないかもしれませんが、かつて、『ママとあそぼう!ピンポンパン』(1966年10月3日~1982年3月31日、フジテレビ)という、子ども参加番組のホストをつとめていました。
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Fayette Pinkney(フェイエット・ピンクニー)さんは『天使のささやき』を歌ったときのザ・スリー・ディグリーズのメンバー

ザ・スリー・ディグリーズのメンバーだった、Fayette Pinkney(フェイエット・ピンクニー、1948年1月10日~2009年6月27日)さんの命日です。日本語版もリリースされた『天使のささやき』を歌ったときのメンバーで、脱退後はソロ活動とともにカウンセラーやボーカルコーチとして働いていました。
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風吹ジュンは若い頃から女優として魅せ方にこだわっていた

風吹ジュンの当時25歳のインタビューが話題になっている。『東京スポーツ』(2016年3月8日付)の「よみがえる青春の女性」という連載コーナーで、現在も活躍する女優の1970年代のインタビューを、当時の写真付きで再録したものである。『原子力戦争/Lost Love』の公開を間近に控えていたときに行ったインタビューという。
昭和のテレビドラマ

松原智恵子が語る『たんばぽ』と『敵か?味方か?3対3』

松原智恵子といえば、日活時代の映画、そしてホームドラマ全盛の1970~80年代に大活躍。最近でも『死に花』(2004年、「死に花」製作委員会/東映)でトップレスシーンを見せるなど健在である。その松原智恵子の33歳当時のインタビューが、『...
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丘みつ子、ベテラン女優の存在感はこんな経歴から

丘みつ子が、『東京スポーツ』(2016年2月26日付)の「団塊記者の取材回顧録」という連載記事で紹介されている。同記事は、現在も活躍する芸能人の、昭和40年代に行ったインタビューを毎回写真付きで再録するものである。
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『仮面ライダー1号』が話題の藤岡弘、『特捜最前線』を思い出す

『仮面ライダー1号』が話題だ。シリーズ生誕45周年記念映画で単独主演を務めるのは古希を迎えた藤岡弘、。変身ポーズと生身のアクションを収めた、迫力の予告編が公開されたと報じられた。古希を迎えたので、かつての出演作品も振り返ってみよう。
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渡哲也、意表を突く大胆な発想力による2つの人心掌握エピソード

渡哲也といえば、石原プロを長年背負ってきた元社長であり、俳優でもある。石原プロは、渡哲也なしに語れないことは間違いないが、具体的な桁外れのエピソードを明かしているのが、芸能リポーターの城下尊之である。石原プロを長年支えてきた渡哲也にはどのようなエピソードがあったのか。
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中村梅之助、『達磨大助事件帳』はテレビ朝日専属契約出演だった

中村梅之助さんが今月18日に亡くなったと話題になっている。前進座の社長でありトップ俳優でもあるだけでなく、一時期はテレビ朝日と2年間の専属契約を結び、その一環として『達磨大助事件帳』(1977年10月13日~1978年5月11日)に出演したというのだ。
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