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桜田淳子、還暦でまたぞろ復帰説も「信教と広告塔の問題」は?


桜田淳子が、明日の4月14日で還暦を迎えるそうです。還暦を自主的に祝う祝う『桜田淳子 勝手に生誕祭!』なるイベントもあるそうですが、桜田淳子本人も表舞台への復帰の意思があるといいます。しかし、例の宗教問題は未解決のまま。この問題、いかが思われますか。(上の画像はレコードジャケットより)

35年ぶりの新曲

さる3月21日、桜田淳子の45周年記念ベストアルバム『Thanks45~マイ・アイドロジー~』が、公式サイトで限定販売されました。

過去の楽曲だけでなく、35年ぶりの新曲も含まれています。

27日には、東京・銀座の博品館劇場でコンサートも行いましたが、380人の定員に1000人以上詰めかけたそうです。

これまで、何度も取り沙汰されてきた、テレビ等メディアの“表舞台”復帰の動きが、還暦という区切りもあって、いよいよ本格化してきたところです。

1973年2月25日に、『天使も夢みる』で歌手デビューした桜田淳子。

オーディション番組『スター誕生!』でデビューした森昌子、山口百恵とともに『花の中三トリオ』として売り出されましたが、そのアイドル性は審査委員だった阿久悠氏の折り紙つきでした。

『スター誕生!』の収録において、初めて桜田淳子を見た阿久悠氏の衝撃がこう記されています。

「神がかり的なことを言うようだが、至極平凡な少年少女の輪の中で一人だけ、浮き上がって見える、あるいは、淡い蛍光色に光るように思える少女がいた。演出を心得ているのか、白いベレー風の帽子をかぶっていて目立ったが、大人の興奮が白い帽子で誘われるものではなく、彼女自身が発散している、彼女自身も気づかぬ何かが立ちのぼっているとしか言いようがなかった。/それが桜田淳子だった」(阿久悠『夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』文藝春秋)

当時の番組プロデューサー・池田文雄氏も、自著で彼女をこう褒めちぎっています。

「スターになるには二通りあって、この淳子のように初めから輝いているタイプと、これは磨けば輝くというタイプがある。スカウトする側にしてみれば、この淳子のような宝石タイプはすぐにでも飛びつきたくなるタイプ」(『テレビ人生!「そんなわけで」録』コアラブック)

桜田淳子は、デビュー以来順調にレコードセールスを稼ぎ出しました。

アイドルからの脱皮が求められる時期には、上手に女優としても活動のウイングを広げました。

たとえば、1978年10月には、長谷川一夫に呼ばれて東宝歌舞伎『おはん長右衛門』に出演。

女人禁制の芸能ともいわれた歌舞伎に、アイドル歌手出身としてはじめての出演という快挙も成し遂げました。

ところが、女優としてせっかく実績を重ねつつあった1992年、統一協会信者であることが明らかになり、“公式行事”の合同結婚式にも参加したことで、イメージダウンとともに広告塔としての責任を問われました。

しかし、同時期に入信が騒がれた、山崎浩子や飯星景子らが脱会したにもかかわらず、桜田淳子は信者であり続け、その結果、表舞台から姿を消しました。

途中、書籍を上梓したり、一夜限りのイベントを開催したりして、その都度復帰の“観測気球”を上げていましたが、根本的な問題がクリアになっていないことから、こんにちまでメディアに自ら顔を出す復帰には至っていません。

自分の真実の思いを明らかにするか

新興宗教の信者であることが明らかな芸能人はほかにもいます。

にもかかわらず、桜田淳子がこれだけ問題になるのは、統一協会はそれだけ大きな社会問題であり、かつ彼女は合同結婚式に参加して、広告塔としての役割を果たしたからでしょう。

統一協会関連の訴訟では、壺や印鑑売りに対する経済的被害で原告(被害者)が勝訴しただけでなく、統一協会の伝道(勧誘の仕方)自体が最高裁で違法との民事判決が10年以上前に出ています。

「いまだに霊感商法に関する弁護士らが彼女の芸能界復帰に反対表明する中、自分の真実の思いを明らかにすれば、当時の騒動以来、彼女から離れていったファンも次の一歩を考えることができ、戻ってくる人もいるだろう。彼女の言葉を期待する」(『日刊ゲンダイ』2018年3月31日付けで芸能レポーター・城下尊之)

もう、桜田淳子を知らない人々も多いと思いますが、「タレントの信教と広告塔の問題」は、まだ解決していないテーマだと思います。


ゴールデン☆ベスト –

夢を食った男たち―「スター誕生」と黄金の70年代 (道草文庫) –

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