花の中三トリオ。いうまでもなく森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人だが、時は移ろい今は昔で、それを知らない世代が半分以上になってしまった。それはともかくとして、花の中三トリオでレコード大賞最優秀新人賞を獲得したのはご存知だろうか。
唐突なこの質問は、昨日の『東京スポーツ』(2017年12月13日付)16面の、『Qスポ』というコーナーに出ていた設問である。
そのまま引用しよう。
“花の中三トリオ”と呼ばれた森昌子、桜田淳子、山口百恵。「スター誕生!」出身で、ほぼ同時期(1972~73年)にデビューした同学年の3人だが、レコード大賞で最優秀新人賞を獲得したのはこの中の1人だけだった。それは誰? またその時の受賞曲は?
このブログを読んでいる方なら、すぐにわかるはず。
何しろ答えが書いてあるのだから。
では正解は……『わたしの青い鳥』の桜田淳子である。
『わたしの青い鳥』は、桜田淳子にとって3枚目のシングルであり、初めてトレードマークのキャスケットを外している。
桜田淳子は、それだけでなく、第4回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞も受賞した。
ちなみに他の新人賞受賞者は、浅田美代子、安西マリア、あべ静江、アグネス・チャンなど、みな「あ」がついたが、その中で、ふたつとも「あ」のつかない桜田淳子が最優秀に輝いた。
しかも、5人の楽曲の中では、オリコンの最高順位はもっとも低かった(18位)のに、である。
それだけ存在感が際立ち、文句なしに同年のナンバーワン新人ということだったのだろう。
桜田淳子と何かと比べられた山口百恵は、デビュー曲が不振だった。
森昌子も日本歌謡大賞で「最優秀」を受賞
東京プリンスホテルの授賞式では、「私ばっかり賞を頂いちゃって、百恵ちゃんがもらえないなんて悲しい」と嘆いた。
しかし、お互いプロであり、プロなら同情は失礼に当たる。
同情するふりをして、実は山口百恵をリードした“勝利感”に酔っていたのかもしれない。
もっとも、山口百恵は、翌年から「青い性典」路線で見違えるような進化を遂げる。
一方、森昌子は、1972年(昭和47年)7月1日、徳間音工から『せんせい』で歌手デビュー。
自身最高のセールスを記録し、翌1973年末の『第24回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしたが、第14回日本レコード大賞は5人の「新人賞」にとどまり、「最優秀」は麻丘めぐみにさらわれた。
第3回日本歌謡大賞は、2人選ばれる優秀放送音楽新人賞に輝いた。
夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫) –
コメント