宇津井健さんが亡くなったという。82歳。デビューは新東宝だったが、思い出深いのは大映時代。『ザ・ガードマン』を映画・テレビで主演。以後もTBSテレビ金曜9時の『赤いシリーズ』で山口百恵と数々共演したことは知られている。しかし、最初の共演作は『顔で笑って』。タイトルに「赤い」はついていなかった。
講談社から、DVDと読み物をセットにした『山口百恵「赤いシリーズ」DVDマガジン』(講談社)が発売されている。大映テレビが制作したテレビドラマ「赤い」シリーズのうち、山口百恵出演作5作をDVDマガジンとして発売しているものだ。
「赤いシリーズ」は、80年代に一世を風靡した大映ドラマの象徴的な作品であるし、その中で山口百恵が出演した作品はDVDマガジンとして発売するだけのニーズはあるのだろう。
ただ、惜しむらくは、そこに『顔で笑って』が入っていなかったことである。
『顔で笑って』は、1973年10月5日~1974年3月29日に放送された。7年間『ザ・ガードマン』が放送されてきた枠である。宇津井健にとっては初めてのホームコメディーだった。その作品に、デビューして1年の「花の中三トリオ」の一人である山口百恵が共演しているのである。
「赤い」シリーズとは違い、そこでは宇津井健と山口百恵は実の父子という設定である。
ただし、父子家庭のため、娘は寄宿舎で暮らしている。
医師である父に、医学部時代学費でお世話になった恩師の娘との縁談話が持ち上がったが、恩師の家は鎌倉で四代続く開業医。再婚はすなわち入り婿養子である。
父は恩師の娘に対して悪い印象はなかったが、婿養子院長代理としての苦しみと、再婚を娘に許してもらわなければならない難題を抱えていた。
恩師の娘は、山口百恵演じる娘にとってはバレー部のコーチであり慕っていたので、娘もまた葛藤する。
結局、父は再婚するのだが、したらしたで、ママハハとの関係に気兼ねする娘、そして宇津井の家族像をコミカルに、そしてちょっと切なく描いていた。
そんなストーリーである。
つまり、「赤いシリーズ」よりも現実的で切ない展開である。
今思い出しても、ストーリーのキテレツさに頼らず、いいドラマだったなあと思う。
宇津井健は、どんな仕事でも手を抜かず頑張った。「俳優として一人前に仕事ができるのは恵まれていることだから」と、ストイックに自己管理をした。
不器用な役者という評価もあるが、天分だけでやっている人よりも、努力で頑張る人を応援したいと私は思う。
それだけに、享年82歳というのは、むしろ「まだはやいんじゃないの?」といいたくなってしまう。
宇津井健さんの生前のご遺徳をお偲びして、『顔で笑って』とともに「赤い」シリーズも思い出そうと思う。