『ためいき橋』は森昌子の33枚目のリリースである。この歌からキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に移籍した彼女は、この年の『紅白歌合戦』でこの歌を引っさげて元夫の森進一と対決している。また、新宿コマで初めての座頭芝居「森昌子特別公演」も経験した。史上最年少女座長である。
森昌子の歌をこれまで順にご紹介してきたが、デビューの時は「ミノルフォン」だったレコードのレーベルが、「キャニオン」になっている。そう、レコード会社を移籍しているのだ。
ミノルフォンというのは、遠藤実の「ミノル」と音の「フォン」を合わせた会社。太平住宅創業者・中山幸市氏が創業したもので、自前のプレス工場を持たず、制作とプロモーションに特化した、出版社にたとえると、ISBNのみをもった編集制作プロダクションのような組織であった。
それが、1972年に徳間書店に買収され徳間音楽工業と改称。この時点でレーベルは残ったが、さらに系列レーベルの別会社ジャパンレコードと合併して徳間ジャパンになった。
勝手なイメージでは、森昌子ならキャニオンよりもミノルフォンという気がするが、それは表に出ない森昌子の事情や心境があったのだろう。
森昌子はこの後更に移籍をいるので、心機一転という意味があるのかもしれない。
『ためいき橋』(1979.10.21)
ためいき橋/冬の部屋
作詞者 杉紀彦
作曲・編曲者 市川昭介(編曲:小杉仁三)
キャニオン
79年の森昌子は、大きな出来事があった。3月4日~30日に新宿コマで「森昌子特別公演」を行ったのだ。森昌子にとっては初めての座頭芝居である。史上最年少女座長として話題になった。
第一部は「赤い襷の捕物帳」という芝居で、有島一郎、藤巻潤、佐山俊二、芦屋小雁、人見明といったベテランが出演。第二部は昌子が歌う「昌子・春の熱唱!」である。ノドの無駄遣いをしないように、公演期間は森昌子の楽屋は面会謝絶でがんばった。
今回の歌は、森昌子が本格演歌に進んでからのメイン作家である杉紀彦が詞を提供している。森昌子も21歳になり、歌詞の方もストレートに感情を表すようになってきた。
A面は、別れた相手の手紙をびりびりに引き裂くところから始まっている。相手は「骨も折れよ」と激しく「私」を抱いたのに、と嘆く。B面では、「私を愛したその指で」涙を拭えといい、「私を抱く手に 嘘が見える」と、何だかんだ言って一応抱かれてしまう。
『せんせい』では桟橋で泣いていたのに、『恋ざくら』では夢で会いたいと願ったり、祭りに誘って貰うことを夢想したりしていたのに、女というのは年と共にこうも変わっていくのか、と男は驚く。そしてまた、さらにどう変わっていくのかが知りたくて森昌子の歌に聴き入る。森昌子の歌は、まるで女性の大河ドラマのようである。
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