『なみだの桟橋』は、森昌子24枚目のシングル。たんなる24度目ではなく、森昌子にとってこの歌への思いは特別なものがあるだろう。なぜなら、学園ソング、近親者や片想い、日常的な風景などの叙情ソングを歌ってきた森昌子が、いよいよこの歌から本格的演歌に入っていくからである。「花の中三トリオ」だった山口百恵も、ちょうどこの頃から「青い性典」にかわって「横須賀ツッパリ娘」路線にうつっている。少女から大人の女性への転換期はとおらなければならない道順だったのである。
作詞は今までの阿久悠に代わってA面が杉紀彦、B面がわたなべ研一である。
杉紀彦は、演歌路線にうつってからは、『春の岬』(1977.12.1)『ためいき橋』(1979.10.21)『越冬つばめ』(1983.8.21)など、森昌子のメイン作詞家として詞を提供している。
といっても、いわゆる熱唱ド演歌というイメージがあるのは島倉千代子ぐらいで、内山田洋とクール・ファイブ、北原ミレイ、清水由貴子、菅原洋一・シルヴィアなど、ブルースと叙情ソングを足したようなタイプの歌手を多く手がけている。
わたなべ研一は、『港のまつり』(1977.5.1)のB面の『秋の約束』、『父娘草』(1978.3.1)のB面の『花まつりの頃』などを手がけている。
市川昭介は、阿久悠をして、遠藤実や船村徹や市川昭介、猪俣公章らは自分と交わる立場ではない「主流」の音楽人と見ていた。その大御所である。
最三書くが、森昌子には大物作家が関わっている。演歌路線になったことで、いよいよ市川昭介が登場したのだろう。
『なみだの桟橋』(1977.8.1)
なみだの桟橋/秋の約束
作詞者 A面:杉紀彦 B面:わたなべ研一
作曲・編曲者 A面:市川昭介(編曲:馬飼野俊一) B面:沖田宗丸(編曲:竜崎孝路)
ミノルフォン
当時の森昌子は満19歳。演歌を歌うには少し若いのではないか。そこで森昌子は歌うまでの準備として、その歌を「自分のもの」にできるよう、一晩中カセットテープを聴き続けることにした。そして、頭の中に勝手にドラマを作った。
「『どこへ行くとも 言わないで 夜明けあの人 船の上~♪』とあるから、『じゃあ、舞台は青森県の漁港町にして、登場人物はこんな感じの男女がいいかな』というように。そのストーリーをレコーディングのときに思い浮かべながら、ドラマの世界に入り切って歌います」(『明日へ』)
中学の初恋以来、学校生活もギリギリまで犠牲にして歌い続けてきた森昌子にとって、「行かないで 行かないで」の部分をリアルに歌いあげるにはこうするしかなかった。
もっとも、高校生としての恋愛を経験したからといって大人の演歌に役立つかどうかはわからないが、いずれにしても彼女の“イメージトレーニング”のおかげで、レコーディングは比較的短時間にOKを出すことができたという。