『あの人の船行っちゃった』を森昌子がリリースしたのは、1975年も押し詰まった12月1日だった。15枚目のシングルになる。愛する人が船に乗って港を出てしまい、その悲しさ、寂しさなど、帰りを待つ気持ちを歌っている。B面の『恋ざくら』は、B面は、好きな人が出来た乙女の歌である。「あなた」の下駄の音を思い出したり、夢で会いたいと願ったり、祭りに誘って貰うことを夢想したりしている。
作詞はA面、B面ともに、いつもの阿久悠ではなく山口あかりである。『夕笛の丘』『小雨の下宿屋』『父娘草(おやこそう)』といった森昌子の歌のほか、伊東ゆかりの『知らなかったの』、ザ・ワイルドワンズの『赤い靴のマリア』、内山田洋とクール・ファイブの『愛の旅路を』、森進一の『おんな』など有名どころの作詞も手がけている。
60年代の大スターだったハナ肇とクレージーキャッツの歌(『笑って笑って幸せに』)も作ったぐらいだから非常にレパートリーも広い。
作曲は遠藤実である。『せんせい』以来、遠藤実は森昌子の歌を数多く手がけている。いわゆる門下生の中でも、彼女を高く評価していたことがわかる。
『あの人の船行っちゃった』(1975.12.1)
あの人の船行っちゃった/恋ざくら
作詞者 山口あかり
作曲・編曲者 遠藤実(編曲:斉藤恒夫)
ミノルフォン
A面では「わたし」は出てきても相手の呼称、たとえば「あなた」という呼びかけがない。逆にB面では「あなた」は出てくるが自分の呼称、「私」や「わたし」がない。
つまり、A面とB面は呼応の関係にあるということだ。だから、どちらも同じ作家なのか、同じ作家だからそのような詞を作ったのか真相は分からないが、B面を刺身のツマにしない細かい詞の作り方をしているわけだ。
一番では畑にはさまれた道を懸命に走って見送ろうとする「わたし」と海鳴りが、二番では灯台の照らす岬にたたずむ雨に濡れた「わたし」とかもめが、三番では届いた手紙を何度も読んで改めて相手を思う「わたし」と北風がそれぞれ描かれている。
編曲は斉藤恒夫。09年、編曲者として古賀政男音楽博物館が定める「大衆音楽の殿堂」入りを果たした。「大衆音楽の殿堂」とは「日本大衆音楽の歴史を振り返り、その発展に貢献された方々の功績を顕彰する」(古賀政男音楽博物館サイト)殿堂ホールで、作詞者、作曲者、編曲者、歌手など顕彰者のレリーフが掲げられ、その年の顕彰者ゆかりの品々を展示している。同じ年に編曲者では佐伯亮、歌手では大津美子、北原謙二、日野てる子、フランク永井らが殿堂入りしている。