『面影の君』で「私」のない歯がゆさを歌った森昌子

この記事は約2分で読めます。

『面影の君』は森昌子の13枚目のリリースである。前作あたりから、抒情詩ソングから演歌への過渡期を感じさせる歌詞になってきたが、今作はまさに演歌の世界を描いている。

A面の『面影の君』は、恋の終わりをわびしく歌ったものだが、決して出過ぎた態度はとらない。例のごとく奥ゆかしい歌詞である。

たとえば「追ってみたって……」と諦めるが、諦める前に追ってみる、ということはしない。

B面の『純情』は、睦み合うことを拒んだことで「あなた」と疎遠になり、悔やんでいる歌である。

どちらも相手が去った歌で、「私」という一人称が出てこない点が共通している。

歌詞として「私は」を連発するとくどくなるからなのか、表現上の何らかの狙いがあるのかは定かではないが、相手が去っても何もできない自発性のないことを表すために、「私は~」という自発的主語を抜いているようにも感じられるがどうだろうか。

森昌子の歌は、歌によっては逆に「あなた」がない場合もある。そうした違いから、同じ片恋や失恋の歌でも微妙なニュアンスの違いを読めるのではないだろうか。

「花の中三トリオ」「スタ誕三人娘」と呼ばれた森昌子、桜田淳子、山口百恵のうち、山口百恵が(年齢からすると)もっともむずかしい歌を歌うようにいわれたが、森昌子こそ、年齢に加えて歌唱力も求められる行間を読む深い歌を歌っているのである。

『面影の君』(1975.6.1)

面影の君
面影の君/純情
作詞者 阿久悠
作曲・編曲者 平尾昌晃(編曲:馬飼野俊一)
ミノルフォン

作詞は阿久悠。デビューの青春歌謡の頃からずっと森昌子の歌を作り続けている。一方で山口百恵の作品はひとつも作っていないところを見ると、森昌子に対する思い入れがそれだけ強かったのか、『スター誕生!』デビュー成功者の象徴として、番組に深く関わってきた阿久悠氏として彼女を大切にしたかったのか、それとも、森昌子自身がそれを望んだのだろうか。

作曲は前作の『春のめざめ』に続いて平尾昌晃。桜田淳子の『玉ねぎむいたら』や、山口百恵の『赤い絆(レッド・センセーション)』なども曲を提供しているので、三人娘はすべて手がけたことになる。

それぞれ曲調はまったく違うものだが、多くの歌手に多くの曲を提供してきた平尾昌晃ならではの実績である。

馬飼野俊一は、アグネス・チャンや天地真理のアレンジを行っている。昌子の曲をしばしばアレンジする斉藤恒夫に師事していた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました