昭和映画・テレビドラマ懐古房

『クレージーメキシコ大作戦』日米墨を股にかけた大巨編

『クレージーメキシコ大作戦』は、時代劇を除いたハナ肇とクレージーキャッツ主演のシリーズとしては11本目の作品である。1968年4月27日に公開された上映時間162分の一本立て。メキシコ・オリンピック開催の前年に、一足先に日本、アメリカ、メキシコロケを敢行している。

この作品は、一部マニアの間では、クレージー映画凋落の契機と言われている。

ただ、数字的には170万人を動員しており、国内興収第4位。費用対効果としてはどうかわからないが、少なくとも大コケというわけではない。

ではなぜそう見られているのか。

2時間半の大作としては『クレージー黄金作戦』以来。見るものはそれを超える出来を求めてくる。

尺が長いのでそれをもたせるだけの何かがないと、“二番煎じ”になってしまうことがあったのではないだろうか。

『クレージー黄金作戦』も、脚本の一部に作りこみが足りないかな、というところはあったが、前半の明るさやテンポの良さ、そして何よりもラスベガスでの歌って踊るシーンがそれを吹き飛ばしてくれた。

今回は、音楽だけはメキシコを意識した壮大で格調高い趣だが、ストーリーの方は、それを超えるものがなかったのかもしれない。

セットにもお金をかけ、いろいろアイデアがつまってはいるのだが、肝心のストーリーが雑になっている感じも否めないのだ。

ピラミッドを見つけるところなどは、なんとなく『クレージー黄金作戦』の劣化コピーのようなパターンだし、マフィアの親分の脳腫瘍手術を行うというのは、いくら何でも荒唐無稽すぎる……、と思った。

あとは2作目の『ニッポン無責任野郎』のところでも書いたが、「無責任男」ないしは「日本一男」は、自由奔放で無根拠に楽天的でC調はあっても、決して“ならず者”であってはならない。

今回の酒森進(植木等)は、村山絵美(浜美枝)をアメリカに売り飛ばし、アメリカでは鈴木三郎(谷啓)の金を持ち逃げし、メキシコでも大道芸でおひねりを集金しているがんぜない子供から金をくすねるなど、ちょっとやり方が露骨にアコギなのだ。

偽物を追求する男という設定だが、だからといって何もそのようなエピソードを加える必要はない。キャラクターの描き方が安易だったように思う。

最後、鈴木が持ち逃げした金の責任が宙に浮いてしまうのもご都合主義と言わざるを得なかった。

あとは、時代的な価値観の問題であって作品の質を問うものとしてみるべきではないかもしれないが、鶏の尻にダイナマイトを仕込むのは、今なら絶対できないことだろう。

『クレージー作戦くたばれ!無責任』のような真面目な作品でシリーズに加わった坪島孝監督にとって、今回はどういう思いで仕事をしていたのだろうか。

ただ、『クレージー黄金作戦』同様に、作品の中にショーのシーンが入っているのはよかった。

今回は中尾ミエとザ・ピーナッツ。中尾ミエのおもいっきりのいい声量はいつ聞いても気持ちがいいし、ザ・ピーナッツ登場のシーンは、それまで“ながら”でこの作品を見ていても、手を休めて凝視してしまう。

最後、また全員で陽気に演奏し、歌うシーンを入れたのは和めた。この終わり方は『クレージー黄金作戦』よりもよかったと思う。

安田伸以外は国内編から出番があり、クレージーのメンバーが活躍できたのもよかった。作品によっては、「クレージー…」というタイトルなのに、植木等主演の『無責任』や『日本一』と変わらず、メンバーの一部がちょい役の場合があるからだ。

石橋エータローなどは、いつも少ない出番の中でいい仕事をしているのに、と思っていた。

『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジンVol.7』(講談社)に本作は収録されているが、この表紙が個人的には気に入っている。

ハナ肇や谷啓が目をむき出して三枚目のふるまいをしているときに、植木等だけはソンブレロを人差し指と中指でちょいと傾け、「オラ」か「アディオス」と言っているようにポーズを取っているのだ。


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当時のポスターを再構成したものだが、この表紙をみると、ぜひ中のDVDを見たいという気持ちになる。

というわけで、いいところも、できればこうあって欲しい、というところもいろいろあった長編映画。東宝クレージー映画としては最後の一本立てであり、ファンならしっかり見ておきたい作品である。

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