昭和映画・テレビドラマ懐古房

『ニッポン無責任時代』で考えた「無責任」の意味

『ニッポン無責任時代』。いわゆる東宝クレージー映画の記念すべき第一弾である。今年4月から月2回発売されている『東宝昭和の爆笑喜劇』(講談社)の第1巻に収録された。この作品がきっかけとなって、1960年代には植木等主演、もしくはクレージーキャッツの冠映画が東宝で30本も作られた。まさに60年代の東宝映画全盛期を支えた看板シリーズとなったのである。

『おとなの漫画』『シャボン玉ホリデー』などで人気上昇中のハナ肇とクレージーキャッツ。中でも『スーダラ節』が大ヒットした植木等をメインにした映画だ。

ただ、東宝も映画スターとしては未知数の植木等に保険をかけた、と解説するのは『東宝昭和の爆笑喜劇』。

クレージーキャッツの映画はこれが初めてではなく、『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ』や『サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ』(大映)などに出演したが、ヒットはしなかったので、当時、人気シリーズながらも7作目でいささか息切れ気味となっていた、重山規子、団令子、中島そのみの『お姐ちゃん』シリーズの3人を出演させることで、『お姐ちゃん』で保険をかけ、かつ『お姐ちゃん』シリーズ自体のリニューアルを図ったという。

同時上映は、これまた人気シリーズになりつつあった『喜劇 駅前温泉』。

その結果、『お姐ちゃん』シリーズの余力も吸収してしまうったか、同シリーズは翌63年で打ち止めとなったが、植木等主演、もしくはクレージーキャッツの冠映画は1971年公開の『日本一のショック男』(監督:坪島孝)まで、30作が制作されることとなった。

監督は古澤憲吾。破天荒な人間像とエンターテイメントに徹した演出で、東宝クレージー映画の幹となる部分を作り上げた。

脚本は田波靖男と松木ひろし。前者はシリーズの約半分の14本を手がけている主力ライターだ。

松木ひろしが書いているというのはあまり取り沙汰されないが、wikiによると、ほとんどが田波靖男によるものという。

松木ひろし自身は、数々の石立鉄男ドラマや、石坂浩二の『俺はご先祖さま』(1983年、日本テレビ)などに見られるように、“3枚目ができる2枚目”によるカラッとしたコメディを理想としている。本作もそうしたコンセプトを念頭に置いたものだったのだろう。

あらすじ(ネタバレ御免)

舞台はバー「マドリッド」。太平洋酒社株買い取りによる乗取り話を小耳に挟んだ植木等演じる平均(たいらひとし)。

さっそく太平洋酒・氏家勇作社長(ハナ肇)に同郷の先輩の名を持ち出して近づき、「太平洋酒を乗っ取ろうとする者がいる」など側近然とした振る舞いでんまと総務部勤務に就職する。

初仕事は、大株主である富山商事社長が乗っ取り屋に株を売らないよう接待(買収)することだった。

機嫌を取り、芸者のまん丸(団令子)もお得意のC調でコロリ。そんな彼の本性を社長秘書の佐野愛子(重山規子)は見抜いていたが、どこか憎めず、むしろ魅力を感じていた。

しかし、いいことばかりは続かない。富山商事社長が乗っ取り屋・黒田有人(田崎潤)に寝返ったことを平均は「マドリッド」のホステス・麻田京子(中島そのみ)から知る。買収失敗に激怒した氏家勇作は平均をクビにした。

さらに話はややこしく、乗っ取り屋・黒田有人には山海食品社長大島良介(清水元)という黒幕がいたが、その娘・洋子(藤山陽子)と、氏家勇作の息子・孝作(峰健二=峰岸徹)は恋人同士だった。

解雇された平均は「マドリッド」で黒田有人に偶然会う。組合がなかったはずなのに会社は大塚(犬塚弘)、佐倉(石橋エータロー)、青木(桜井センリ)、安井(安田伸)らが組合を作ったことを告げると、黒田有人は、会社が自分の支配下で軌道に乗るまで平均を利用しようと考える。

そして、黒田有人に殉じて辞表を叩きつけた谷田総務部長(谷啓)に代わり、平均は余興と宴会のとりもちを契機に渉外部長に返り咲く。

だが、その一方で平均は、氏家勇作に「黒田有人を追い出して社長に復帰させる」と約束し、谷田を課長として会社に復帰させる。

もともと平均を信用していなかった黒田有人は、平均をやめさせる口実に、太平洋酒の商売仇である北海物産からホップの買いつけを命じた。

平均は、谷田らの協力によって、北海物産社長・石狩熊五郎(由利徹)を口説き落とすが、そのやり方を口実に結局クビになってしまう。

さらに平均は、家を出た洋子の居場所をタネに、大島良介に氏家勇作の復職を迫るが、今度は洋子が寝返り父親の大島良介と裏で和解していたために、とんだ三枚目となって会社も下宿も去っていく。

そして1年後、氏家家と大島家の結婚式。平均は北海物産の新社長として現れる。

「無責任」とは「ちゃらんぽらん」ではない

ストーリーを一通り追うとわかるが、この作品、決してご都合主義で成果を得られる展開ではない。

むしろ、平均が取り組んだプロジェクトは、ことごとく失敗と裏切りにあっているシビアな展開なのだ。

無責任なのにうまくいくだけの展開では、同社の社長シリーズのように艱難辛苦の成功ストーリーと両立しないし、世の中の厳しさ、世間が信用ならないものであるという現実のリアリティを見せることで、観客が作品に対して、「荒唐無稽だ」と距離を置かないようにしているのだろう。

また、就職したり返り咲いたりするきっかけも、決して偶然ではなく、僅かなチャンスを逃さない、平均の目端の利く生き方によるものである。

改めて考えると、この作品にかぎらず、「無責任」というのは決してちゃらんぽらんに生きるという意味ではない。

責任をもって世間に忠誠を尽くしても裏切られるかもしれない。それよりは自分を信じて自分の思うように生きていこう、ということだったのだ。

自分を信じるからこそ、逆境に陥っても、いつも巻き返せるという(根拠や見通しがあるかどうかは別として)楽天的で前向きな明るさがある。

思想的に、古澤憲吾監督は右翼的だったらしいが、作風は監督の意図や自覚に関わらず、実にリベラルなものなのだ。

キリスト教徒で仏教徒で共産党員という、心の広い父親を持つ植木等ならではのキャラクターだったのだな、ということを改めて感じる。

東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年 4/23号 [分冊百科]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/04/09
  • メディア: 雑誌

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