森昌子といえば、『スター誕生!』が生み出した番組の象徴のような扱いを受けることがあるが、実際にはデビュー第2号だった。第1号は内山田洋とクール・ファイブのボーヤだった沼尾健司。港区の公立中学生、森田昌子が登場したのは第7回目の放送だった。少なくとも森昌子の歌手人生はここから始まる。
『スター誕生!』を支えた阿久悠は、森昌子についてこう書いている。
小柄というより子どもの体型で、垢抜けない髪型、多少ウェーブのかかったオカッパであったと記憶しているが、似合うも似合わないも、ただ校則に従っているという感じで、そこからスターを予感させるものなどは、何もなかった。(『夢を食った男たち』)どこにでもいる13歳の少女に過ぎなかったということだ。
ところが、『涙の連絡船』を歌い始めると審査員たちは「思わず腰を浮かし、一瞬表情を緊張したものに変え、やがて、深い深い溜息をついて微笑で顔を覗き合う状態になるまでいくらも時間がかからなかった」(同)という見事な歌声で、13社のプラカードが上がる初代最優秀賞(グランドチャンピオン)に輝いた。
もともと番組は、彼女のようなありふれた少女が従来の価値観にこだわらず芸能界にデビューしてスターになることを目指していた。
その意味では、森昌子はまさに番組の申し子的な存在といえる。
そんな森昌子のデビュー曲は、いわずとしれた『せんせい』だ。
せんせい/太陽の花嫁
森昌子
作詞者 阿久悠
作曲・編曲者 遠藤実(編曲:只野通泰)
ミノルフォン
そう。森昌子というとタワシ頭を連想するが、少なくともこのレコードジャケットを撮影した時点ではそうではなかったのだ。
それはともかく、この歌をリリースするにあたっては、森昌子を、というよりまだ13歳の女の子をどうやって売りだそうと考えたのか、いろいろ悩んだ。
そして、出た結論は60年代に流行した「青春歌謡」、具体的には舟木一夫路線だった。
森昌子をスカウトしたホリプロ・堀威夫はこう述懐している。
「舟木一夫の学園シリーズで当てたのがちょうど十年ほど前になる。元来、私は“企画循環説”という考え方を持っている。『ヒットした企画は一定の期間を置いて必ず繰り返される』との仮説である」「森昌子のデビュー企画が難産で苦しみぬいているとき、ふとこの企画が頭を横ぎった。『そうだ、男にこだわることはない』。それからは霧が晴れたようなもので、今までの苦しみが嘘のように、デビュー企画はすんなりと決まり、早速『スター誕生』の審査委員長でもある阿久悠さんのところにその案を持っていった」(『いつだって青春』)
森昌子はこの歌を歌う時、直立して小首をちょこんとかしげ、人差し指を立てて動かした。派手ではない歌にあった仕草は自然発生的なもののように見えるが、もちろんあれは振り付け師が決めたものである。『スター誕生!』の歌手の振りは、全て土居甫が付けていた。ピンクレディーの股を開いた振り付けも、森昌子のささやかな振り付けも、同じ振り付け師がついているというのは意外な気がするかもしれない。
この歌は51万枚を売り上げる森昌子最大のヒット曲となる。第14回日本レコード大賞・新人賞、第3回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞した。ただ、今にして思えば、最初に大きなヒットを出してしまったことで、後の森昌子の歌が優等生的な枠を外せなくなってしまった憾みもあったのではないだろうか。
夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫)
- 作者: 阿久 悠
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/12/06
- メディア: 文庫