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小林幸子、島倉千代子さんの葬儀欠席の真相

小林幸子が島倉千代子さんの葬儀に出席しなかったことが話題になっている。小林幸子は所属レコード会社が島倉千代子さんの後輩で、若い頃から親交があったと言われているからだ。そうでなくても芸能人は、みのもんたの言い草ではないが冠婚葬祭こそ自分の存在をアピールする場。列席しないなら、その理由として誰もが考えるのがアノことだ。

『東京スポーツ』(11月16日付)には、さっそくそのことが記事になっている。リードには、不謹慎な参列予告で出禁となったみのもんたとともに、小林幸子にも「遠慮すべし」とのお達しが出ていたというのだ。

「島倉さんの葬儀は、芸能界の実力者たちが仕切っていました。小林は昨年勃発した個人事務所の“お家騒動”で、そのあたりと敵対関係になってしまった。今年に入ってもくすぶったままでした。そのため葬儀にも参列しないよう要請があったとか。そもそも小林は既に仕事が入っており、参列はできない予定だったのですが…」と音楽関係者。
昨年のアノ事件のことである。

アノ事件は、一方的に小林幸子をいたぶったアレのことだ。

結婚した小林幸子の夫がでしゃばり、長年尽くしてきた事務所の女社長と専務が会社まで追われたというストーリーがマスコミから何度となく報じられ、大衆も小林幸子バッシングに興奮。

小林幸子が極悪非国民であるかのような「小林幸子恩知らず」の大合唱になった。昨年の話だ。当時のマスコミ報道を覚えていない人はいないだろう。

その後、小林幸子が記者会見を行って「お金を支払うことで和解した」と報告したにもかかわらず、「紅白に出たいからだろう」とバッシング。

元社長が「気持ちは和解ではない」と反論すると、「やっぱり小林幸子が悪い」とさらにバッシングされた。

つまり、小林幸子は最初からワル、元社長は最初から可哀想、というポジションありきの報道であり評価だった。

しかし、揉め事が一方の側だけが悪いということがあるだろうか。

考えて見ればわかるが、小林幸子の成功は何より小林幸子あってのものである。女社長はどんなに貢献してもしょせん裏方にすぎない。

そんな裏方風情に偏向したかのような報道はちょっとおかしいのではないか、という疑問が生じ始めた頃、やっぱりという感じで『日刊ゲンダイ』(7月18日付)が、「小林幸子にも三分の理」というタイトルの記事を書いた。

本当は、小林幸子は元社長や専務に対して十分な給料を払っていた。小林幸子が有名になってからマネジメントを始めた元社長らが小林幸子の面倒見たような言い方はおかしい、というような話だ。

しかし、そんなことは最初からわかっていたことで、それでも小林幸子をいたぶっていたのがマスコミ報道だった。

この「今更」の擁護の背景には、実は元社長側に芸能界のドンが味方についたという話も出た。

ドンに配慮してマスコミが小林幸子を叩く側に回ったということだ。マスコミ報道のスタンスは、その“ドン”次第ということである。

芸能マスコミにジャーナリズム精神などないのだ。

今回の小林幸子の欠席。本当に東京スポーツの指摘するとおりだとしたら、責任の一端はマスコミにもある。他人ごとのように小林幸子を気の毒がるような立場ではないだろう。

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