『駅前旅館』(1958年、東京映画/東宝)は、1960年代に24本作られた東宝昭和喜劇4シリーズのうちのひとつである。が、その第1作目である本作『駅前旅館』に「喜劇」は冠さず、松竹映画を思わせる東京・上野のを舞台にした井伏鱒二原作の文芸映画である。
1960年代の東宝は、4つの人気シリーズが屋台骨を支えていた。
森繁久彌の社長シリーズ33本、植木等主演を含めたクレージー映画30本、若大将シリーズ17本、そして、本作『駅前旅館』を含む喜劇駅前シリーズ24本である。
そのうち、森繁久彌の社長シリーズは、お得意のハイソで明るい東宝カラーによるサラリーマンもののひとつで、いうなれば東宝映画の保守本流である。
ところが、やはり森繁久彌が主演として名を連ねている喜劇駅前シリーズは、ちょっと色合いが違った。
まず、制作が東宝本体ではなく、「協力会社」の東京映画である。
そして、当時の東宝映画は都会的な舞台だったが、喜劇駅前シリーズは、地方や下町などが主な舞台になったため、松竹映画に作風が近いといわれた。
監督は文芸作品を撮ってきた、松竹蒲田撮影所出身の豊田四郎や、久松静児らである。
出演者も、東宝系の東京映画の作品でありながら東宝生え抜きの出演者が少ない。
伴淳三郎は松竹、フランキー堺は日活出身、淡島千景、淡路恵子、草笛光子は松竹出身、唯一の東宝出身は、下積みの長かった森繁久彌である。
さらに、後半は多少傾向が変わったが、少なくとも前半は、実在の出来事やその土地の生活ぶりをリアルに示した、社会風刺喜劇であった。
こうしてると、生え抜きでニューフェース一期生の三船敏郎を柱とした黒澤映画や、森繁久彌、小林桂樹、加東大介という東宝のトップ俳優を中心に物語を構成した社長シリーズなどに比べると、喜劇駅前シリーズはいわゆるプログラムピクチャーといわれる“傍流作品”である。
それが、通算で24作も制作された人気シリーズにのし上がったのだから、喜劇駅前シリーズには叩き上げの魅力を感じずらはいらけない。
あらすじ
『駅前旅館』の舞台は当時の東日本の玄関口、上野駅である。
上野の駅前にある柊元(くきもと)旅館には、戦後復興が一段落つき、四国男子高校(藤村有弘)や、関西女子高校(左卜全)などの修学旅行、慰安旅行などの団体旅行客が増えつつあった。
とはいっても、高校生たちは米一升を持参する時代なのだが。
そうなると、立場が微妙なのが、“旅館の顔”としてはたらいてきた「お帳場様」である番頭の生野次平(森繁久彌)である。
団体客を安定的に獲得できれば、番頭もいらなくなる。
柊元旅館主人の三治(森川信)と、内儀のお浜(草笛光子)は、密かに次平(森繁久彌)に暇を出すチャンスを狙っていた。
しかし、馴染みの旅行社の添乗員で、柊元旅館は自分の職場のような小山(フランキー堺)や、
一緒に働く中番・梅吉(藤木悠)、
女中・お松(都家かつ江)らは、
次平(森繁久彌)と信頼関係があった。
次平(森繁久彌)には気の合った番頭として、水無瀬ホテル番頭・高沢(伴淳三郎)、春木屋番頭(多々良純)、杉田屋番頭(若宮忠三郎)などである。
番頭たちや中番らは、お辰(淡島千景)の馴染みの飲み屋・辰巳屋を利用していた。
そんなとき、旅館の豆女中だった於菊(淡路恵子)が、
紡績工場の慰安旅行に保健の先生(浪花千栄子)や班長(野村昭子)らとともに寮長として社員を引率してきた。
次平(森繁久彌)が風呂に入ってうたた寝をしている時、於菊(淡路恵子)が入ってきて二の腕をツネって合図。
旧知の間柄である2人は次の日、こっそり2人は会った。
しかし、於菊(淡路恵子)に“旅の恥はかきすてというような気持……”といわれ、次平(森繁久彌)は腹がたった。
そもそも、旅館の豆女中だった於菊(淡路恵子)が紡績会社の寮長になり上がれたのは、社長の妾になったからだ。
次平(森繁久彌)は、「お前、宿へ帰んなよ」と啖呵を切り、お辰(淡島千景)の店で一人で飲んだ。
そして、小女(小桜京子)を帰していいムードになり、もうちょっとというところで小山(フランキー堺)がやってきておじゃんに。
このへんは、社長シリーズと同じ展開である。
その間、下級旅館に強引に呼び込みしていくらかの礼金を受け取るカッパの連中(山茶花究ら)が、柊元旅館格元に泊った女学生3人(市原悦子ら)を怪我させた。
女の先生(若水ヤエ子)率いる東北女高の女生徒だった。
次平(森繁久彌)は、主人の三治(森川信)と内儀のお浜(草笛光子)から叱責され、とくにお浜(草笛光子)からは口も聞いてもらえなかった。
次平(森繁久彌)は、お辰(淡島千景)の辰巳屋を本部とする上野駅前浄化運動として、カッパ連中を締め出す看板を一帯にたてかけた。
当然、カッパたちは柊元旅館に押しかけた。
次平(森繁久彌)は、その場をおさめる方便として、女中・お松(都家かつ江)に外出用の着物を着るのを手伝わせ、暇乞いの口上を述べた。
が、三治(森川信)とお浜(草笛光子)はそれを利用し、本当に暇を出してしまった。
次平(森繁久彌)は、無念さを隠して最後に客引きの手際を見せた後、柊元旅館を去った。
番頭を使い捨てることに腹を立てた小山(フランキー堺)も、女中・お京(三井美奈)を連れて旅館を去った。
次平(森繁久彌)は、お辰(淡島千景)の辰巳屋に寄るつもりだったが、高沢(伴淳三郎)がいたのでそのまま上野駅に。
だが、小山(フランキー堺)が寄り、「次平さんが来たら渡してください」と退職金を置いていったので、事態を察したお辰(淡島千景)は上野駅へ。
日光をあてもなくさまよっている次平(森繁久彌)に、お辰(淡島千景)が追いついた。
『駅前旅館』まとめ
『駅前旅館』は、井伏鱒二の同名の原作がある。
市井の日常をしっかり描いた、井伏鱒二の作品を原作としているだけに、登場人物の悲哀や気概や恋模様などが切なく見事に映像として表現されている。
喜劇駅前シリーズの第一作だが、最初は「喜劇」とはついておらず、れっきとした文芸作品だった。
ところで、『駅前旅館』は、どう見ても森繁久彌が主人公だが、三木のり平の息子の小林のり一は、「『駅前シリーズ』は森繁さんも出てますが、やっぱりあれは伴淳三郎さんとフランキー堺さんの映画なんでしょうね」(『昭和の爆笑喜劇DVDマガジンVol.21』講談社)と語っている。
おそらく、社長シリーズと全くテイストが違う映画であること、伴淳三郎が当時松竹の俳優だったことなどがあるのかもしれない。
たしかに、松竹映画で、外様ばかりの俳優では東宝配給として格好がつかないと、森繁久彌を主役にしたということも考えられる。
神輿の上が森繁久彌で、伴淳三郎とフランキー堺らがそれを担ぐ構図だったのかもしれない。
なお、過去にこのブログでは、『喜劇駅前探検』(1967年、東京映画/東宝)をご紹介した。
全24本作られたシリーズ20作目で、本作『駅前旅館』でカッパの親玉を演じた山茶花究が、出演者の「トメ」に抜擢されている。
『駅前旅館』、いずれにしても、ご鑑賞をおすすめできる作品である。
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