若尾文子、といえば大映出身の、日本映画史に残る女優である。時代が映画からテレビに移ってもテレビドラマで活躍し、結婚後は仕事をしていなくても、夫の選挙運動に帯同するだけで老若男女にかかわらず人が集まった。
DVDで出演映画を観たのだろうか。それほどの大物女優の若かりし頃を、『東京スポーツ』(2015年4月14日付)が取り上げているのだ。若尾文子ファンなら必見であろう。
『東京スポーツ』では、昭和の記事を振り返る「昭スポ」という連載で、1965年10月15日に同社を訪れた若尾文子(当時31歳)を掲載している。
若尾文子というと日本的な女優というイメージがあるが、写真には派手なヘアとアイメイクの若尾文子がうつっている。
美貌が輝いてゴージャスな色香
それだけでもびっくりする方もおられるだろう。
あの若尾文子がこんなヘアスタイルなのか、と。
若尾文子の青春時代を垣間見ることができる。
もちろん、記事の方も十分読み応えがある。
ということで、前置きが長くなったが、記事をご紹介しよう。
美貌が輝いてゴージャスな色香を漂わせているのは女優の若尾文子。昭和40(1965)年10月15日、都内の自宅でインタビューしたときに撮影した貴重な写真だ。当時31歳。大映の看板女優として数々のスクリーンを飾り、観客を魅了していた。
昭和26年に大快に入社して、翌年に「死の街を脱れて」でデビュー。昭和28年、溝口健二監督の「祇園嘲子」で舞妓役を演じて女優として評価され、ブロマイドの人気が1位になるなどブレーク。「女は二度生まれる」「妻は告白する」の2本でキネマ句報賞、ブルーリボン賞などの主演女優賞を受賞して、名実ともに映画界のトップ女優になった。
昭和40年に主演した映画は再びキネマ旬報賞などの主演女優賞を受賞した「清作の妻」「波影」など7本。当時の映画界の女優では群を抜いていた。「私にとっては年に5~6本はいつものペースなんです。今年は役柄に恵まれていました。俳優として幸せです」と華やかな笑顔を見せた。
次回作は谷崎潤一郎原作の「刺青」。入れ墨の名人が芸者の肌にクモを彫ることをめぐる幻想と怪奇とエロスの物語。谷崎作品は「瘋癲老人日記」「卍」に続く3作目だった。「谷崎先生の耽美的な面をどうしたら出せるか。それに苦労します」。成熱したエロチシズムを漂わせながら女の情念を演じて男たちをスクリーンにクギ付けにした。
若尾文子のベストワークというと、数ある出演映画作品の中からいろいろな作品があげられるだろう。
その中で、個人的に推したいのは、『あなただけ今晩は』(1975年7月26日~1975年9月27日)というフジテレビで放送されたドラマだ。
倉本聰が脚本。
若尾文子は幽霊の役である。
亡くなっても、夫が気がかりであの世へ行けない。
夫(藤田まこと)は、会社の若い女性(仁科明子)と仲がいい。
そんな若尾文子を、一人だけ見ることが出来る人がいた。
それは、義兄の中条静夫である。
中条静夫が寝ると、夢の中で自宅の屋根の上にいて、若尾文子と2人で話をしているのだ。
ドラマは、毎回そのシーンがクライマックスである。
これは、大映時代のファンならびっくり仰天のシーンである。
なぜなら、大映時代の格は、若尾文子がトップ、中条静夫は端役の大部屋俳優だったからだ。
天と地ほど差のあった関係が、クライマックスでツーショットを撮られるほど差が詰まった。
これは感動的なことである。
テレビには、映画とは異なるメディアで異なる役者の序列があった。
だが、そこでも若尾文子はトップをとっているのだ。
若尾文子。すごい女優だ。