昭和映画・テレビドラマ懐古房

『父子草』(1967年、東京映画/東宝)は労働者(渥美清)と苦学青年(石立鉄男)の出会いと「生きた英霊」としての苦悩を描く

『父子草』(1967年、東京映画/東宝)は労働者(渥美清)と苦学青年(石立鉄男)の出会いと「生きた英霊」としての苦悩を描く

『父子草』(1967年、東京映画/東宝)は、土方(渥美清)と苦学青年(石立鉄男)の出会いと「生きた英霊」としての苦悩。疑似父子関係で青年が大学に合格するまでを描いた作品。阪急石橋駅前の新御堂筋陸橋下を舞台にしたモノクロ作品です。(上の画像の映像は本編スクリーンショット)

父子草とはなんだ

父子草(チチコグサ、学名:Gnaphalium japonicum)は、キク科ハハコグサ属の植物である。

父母や男女の関係で名が付けられる草は他にもあるが、たいてい男性側が大きいのに、チチコグサに限っては父の方がずっと小さいという。

それを象徴しているのが、同名の映画『父子草』(1967年、東京映画/東宝)である。

木下恵介脚本、丸山誠治監督のコンビで、音楽はこれまた「もちろん」木下忠司。

出演は、渥美清、石立鉄男、淡路恵子、星由里子、浜村淳、大辻司郎など。

すでにきれいな「天然色」の作品をリリースしていた東宝だが、本作は制作会社の東京映画が作ったからか、まだモノクロである。

ちなみに、本作の脚本は昨日12月5日が誕生日だった木下恵介、出演者の一人である星由里子は今日6日が誕生日だった。

あらすじ


舞台は、一部マニアによると、阪急石橋駅前の新御堂筋陸橋下。

東京人は、映画の舞台は方言を使わなければ東京なのが当たり前と思ってしまう悪い癖がある。

子供の頃は、てっきり日比谷線の北千住辺りだと思っていた。

それはともかくとして、昭和40年頃は、駅のガード下に一杯飲ませるおでんの屋台があるのはありふれた光景だった。

そこのおかみが淡路恵子。

屋台の女将にしておくのがもったいない美人である。

社長シリーズで、派手な洋服でタバコを吹かしている淡路恵子は、子供心にはちょっと毳毳しいイメージがあったが、着物を着た女将姿はきれいに見えた。

この人はやっぱりきれいな人だったんだ、と認識を新たにした。

飲みながら歌っているのが、労働者の渥美清である。

そこへやってきたのが、屋台の常連の青年・石立鉄男。

といっても、飲みに来ているわけではない。

働きながら大学合格を目指す受験生で、夜の夜警のアルバイト前に、屋台に寄って食事をするのだ。

ごはんは平べったい弁当箱に持参。

注文するおでんのネタは2つだけの、いかにも苦学生らしい質素な食事である。

子供の頃、ユニオン映画の石立鉄男ドラマでファンになっていた私は、この食事を真似したことがあるが、食べざかりということもあって、逆にお腹が空いてしまった。

渥美清は、酔った勢いで石立鉄男と2度も取っ組み合ったが負けてしまう。

が、絡んだことがきっかけで、渥美清は石立鉄男に関心を抱く。

さて、石立鉄男は、またしても大学に合格できなかった。

親からの仕送りも怪しくなり弱気になると、渥美清は、石立鉄男の恋人の星由里子を証人に、「3度目の勝負だ、お前が合格すればお前の勝ち、落ちれば俺の勝ち」と約束させ、経済的な援助も行った。

なぜ、渥美清はアカの他人にそんなことをするのか。

それは、渥美清が「生きた英霊」だからだった。

第二次大戦が終わり、渥美清がシベリヤの捕虜生活を終え帰国したものの、港には父親(浜村純)しか迎えに来なかった。

妻は、子供はどうしたのか。

渥美清は浜村純に尋ねた。

浜村純は、渥美清はすでに戦死したと思った妻が、その弟と再婚したことを告げ、弟夫婦には会わないでくれとナニガシかの金を渡した。

渥美清は結局身を引いたが、妻の手許に残してきた息子に対する思いは絶ち難く、石立鉄男を息子に見立てていたのだ。

渥美清が、淡路恵子に事情を話す回想シーンだったので、その間は台詞無しの音楽と役者の演技の映像だけで内容を伝える。

この演出は鑑賞しながらこみ上げるものがある。

渥美清は、お金を稼ぐために危険な現場に移ったため、貯めてきたお金はいつも淡路恵子に託した。

同僚の大辻司郎が事故死するも、渥美清は歯を食いしばって働き、またそのお金を淡路恵子に預けた。

渥美清の話し方が、よく言えば紳士的だが他人行儀だったので、淡路恵子は心配したが、実は渥美清は酒も断っていたのだ。

そしてその援助のおかげで、石立鉄男は大学に合格した。

渥美清は屋台を訪れ、鉢に植えたあった父子草を見て合格を知る。

彼が勉強する際、父子草の種を見ながら、約束を果たすためにお守り代わりにしていたもの、合格すれば植える約束だったのだ。

渥美清は石立鉄男と再会して取っ組み合うが、感激したからか、過酷な労働で消耗してしまったのか、投げ飛ばすことも飛ばされることもなく、そのままお互いを抱きすくめて感涙にむせんだ。

まとめ

私が子供の頃、最初にこの映画を見たのは東宝系の映画館……ではなく、日本テレビだった。

日曜午後、劇場用映画を放送する枠があったのだ。

好評だったのか、そもそも枠用の映画が少なかったのか、本作が放送されたのは1度ではなく、それこそ毎年1度は放送されていたような気がする。

思えば、これは1960年代ならではのテーマで、私が子供の頃、盛り場でしばしば見かけた「傷痍軍人」も、いつのまにか見なくなった。

しかし、ベタな言い方だが、戦争体験を風化させないためにも、こうした作品は思い出されるべきだと思う。

ネットのレビューには、これこそが寅さんの原型ではないかという意見があった。

なるほど、そうかもしれない。

私は、渥美清ではないが、野村芳太郎監督による萩本欽一の演じる役も、車寅次郎に近いと思っていた。

山田洋次監督は、自らが手掛けたハナ肇の馬鹿シリーズも含め、いろいろなキャラクターを集大成したものとして、寅さんを世に送り出したのかも知れない。

なお、石立鉄男については、浅丘ルリ子と濃厚な関係を描いた『愛の渇き』(1967年、日活)もご紹介しているので、そちらもご覧いただければ幸甚である。

https://shiseiweb.com/%E6%84%9B%E3%81%AE%E6%B8%87%E3%81%8D

以上、『父子草』(1967年、東京映画/東宝)は労働者(渥美清)と苦学青年(石立鉄男)の出会いと「生きた英霊」としての苦悩を描く、でした。

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