森昌子が「花の中三トリオ」の扇の要で歌っていた時、『明星』か『平凡』、つまり当時のアイドル芸能誌に、森昌子が村野武範のプロマイドを定期入れに入れている、と書いてあった。村野武範といえば、当時、人気ドラマ『飛び出せ!青春』(1972年~1973年、東宝、日本テレビ系)のレッツビギンこと河野武役で出演していた。
森昌子は、村野武範に憧れたのか、劇中の河野先生に憧れたのかわからないが、とにかく憧れていたという話が出ていた。
それが事実かどうか。そして、村野武範自身にあこがれていたのか、河野武に憧れていたのか。
事実であった。そして、どちらに憧れていたのかもなんとなく明らかになった。
『東京スポーツ』(2014年4月25日付)に、芸能人の昔のインタビュー記事を復刻掲載するコーナー「団塊記者の取材回顧録」に、森昌子をインタビューした記事が掲載されたのだ。
通算59枚目のシングル「花魁」を16日にリリースし話題の森昌子(55)。歌謡史に残る数々のヒット曲で知られる歌唱力は、いまだ健在だ。
1972年9月11日、デビューしたばかりの時、本紙インタビューに答えたことがある。当時13歳(写真)。東京・港区立港中学の2年生だった。
71年10月に始まった日本テレビのオーディシン番組「スター誕生!」に出場し、初代グランチャンピオンに。その後ホリプロ所属となり、同年7月に「せんせい」で歌手デビュー。圧倒的な歌唱力で、デビュー曲は発売2か月で40万枚の大ヒットとなり、森は一躍人気者になった。
学校の先生への「淡い初恋」を歌った胸キュンソング。歌のような初恋物語は?「まだ恋したことはないの。誰とも」。ボーイッシュなヘアスタイルでクリッとした大きな目が印象的だった。
中学の先生の中にすてきな先生は?「『飛び出せ!青春』(当時放送されていた日テレ系の人気学園ドラマ)の河野先生(村野武範)のように、男らしい先生がいればいいんだけど」と笑った。学校には「午前中は毎日行ってます。今日は久しぶりに午後の授業が終わる4時10分までいられたの」とうれしそう。
ボーイフレンドは?「いっぱいいる。みんなケンカ友達。気が短いから、すぐカッとしてほっべたなんてぶっちゃう。でも2分も持たずに仲直りしちゃうけど」。勝ち気なところを見せた。
女友達は?「やっぱりいっぱいいる。女の子のほうが何でも相談できるのでいいな」
ファンレターは?「1日平均300通くらい来ます。『友達になってください』とか、『10年たったらボクのお嫁さんになってください』とか、読んでいて噴き出しちゃうのもあります」
今後の抱負について聞くと、「美空ひばりさんや郡はるみさんが好き。今はポップス調のを歌っているけど、本当は演歌が歌いたいの。コブシの利いた演歌を歌おうと思っている。歌は好きだからず~っと続けていきたい」と答えた。
その言葉通り、「哀しみ本線日本海」(81年)、「越冬つばめ」(83年)など数々のヒット演歌を生み出す。1年遅れてデビューした山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれ一世を風靡した。(阪本)
この限りでは、村野武範にあこがれていたというより、劇中の河野武に憧れていたと読むことができる。
それにしても、本人は毎日のようにテレビに出て歌っていた人気歌手である。自分もファンレターをたくさんもらい、いつも周りにはスターがたくさんいたのである。
それが、普通の女子中学生のように、ドラマの登場人物に憧れるなんていうことがあるのだろうか。
きっと、歌手としての森昌子と、一中学生の森田昌子は、どこかで切り替えていたのかもしれない。
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