昭和映画・テレビドラマ懐古房

明日がござる、ホームドラマの方向性が嫁姑対立にシフトした作品


『明日がござる』(1975年10月2日~1976年9月30日、テレパック/TBS)といえば、水前寺清子主演、平岩弓枝脚本、石井ふく子プロデューサー、テレパック制作、TBS放映という、あの昭和テレビドラマ史に残る『ありがとう』のキャストとスタッフである。

当時、TBSの創立25周年記念番組として放送された。

これまで、『肝っ玉かあさん』『ありがとう』といった母子家庭のホームドラマだったので、今度は父親のいる風景を描いた。

尾上松緑が12年ぶりのホームドラマ出演として話題にもなった。

10月3日午後8時から、いつも無料放送のBS12トゥエルビで、10月3日から放送開始されるということで、Facebookでも話題になっている。

話を遡ると、『ありがとう』は全四部だったが、水前寺清子主演は第三部までである。

第四部は、『肝っ玉母さん』の京塚昌子と、それまでの三部にもレギュラー出演してきた佐良直美の母子を中心にドラマが展開されている。

で、その間、水前寺清子は何をしていたかというと、『あたしのものよ』(1974年12月6日~1975年5月30日)というドラマに出演していた。

やはりテレパック/TBSだが、脚本は松山善三だった。

石井ふく子、平岩弓枝コンビからの卒業と、TBSが弱い金曜8時の視聴率を助けるという2つのテーマで、水前寺清子は転出したのだ。

まあ、もともと本職は歌手であるし、ドラマを続けるかどうかはわからないが、いずれにしてもこれを機に、もう石井ふく子、平岩弓枝コンビとは仕事をしないのかな、と思っていた。

それが、この『明日がござる』で、はやくもトリオ復活と相成ったわけである。

ドラマのモチーフはいつしか嫁姑に

さて、『明日がござる』のストーリーだが、水前寺清子の暮らす舞台は、東京・神楽坂の串料理のしにせ“世渡”である。

主人は尾上松緑。妻は葦原邦子。

水前寺清子には、兄(井上順)、妹(沢田雅美)、末弟(佐藤佑介)、末妹(二階堂千寿)がいる。

『ありがとう』は母子2人きりだったが、しにせで両親健在、子沢山という恵まれた家庭である。

そこで、尾上松緑がパリに支店を出すと言い出し、子供も小さいのにと騒動となる。

しかし、このドラマの騒動は、ここだけではない、

水前寺清子は、『ありがとう』のときより歳をとった。

したがって、荻島真一のプロポーズであっさり結婚する。

こちらも、父親に馬場のぼる、母親に山岡久乃と両親揃っている普通の家庭である。

しかも、山岡久乃は警察で管理職。

ちょっとばかり厳しい姑である。

公式サイトは、『明日がござる』について、「3シリーズ続いた山岡久乃の「ありがとう」コンビに代わって、新コンビの活躍に期待」とある。

つまり、水前寺清子と尾上松緑の父娘のコンビを売り出したかったようだ。

しかし、尾上松緑はパリに行ったという設定になっていて、たまに電話の声で出てくるだけである。

それでは、視聴者に対してアピールはできない。

一方、山岡久乃は、毎週のように水前寺清子のしくじりを指摘する。冷静沈着に。

かくして、父娘の新コンビではなく、『ありがとう』の母娘が、今度は嫁姑のコンビとして注目される嫁姑ドラマの走りになってしまった。

しかし、そういうシビアな展開は、平岩弓枝の望むところではなかったのだろうか。

この作品を最後に、石井ふく子プロデューサーとのコンビからは撤退する。

そして、『明日がござる』は1年で終了するが、その後、80年代のホームドラは、みんなでご飯を食べるお茶の間ドラマから、嫁と姑の対立を描くモチーフに変わってしまった。

その最たるものが、橋田壽賀子と石井ふく子のコンビで20年以上続いた『渡る世間は鬼ばかり』だったのである。


あせらず、おこらず、あきらめず –

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