今日は坂本新兵さん(1935年4月16日~1996年6月30日)の命日です。もう60代後半以上の人でないとわからないかもしれませんが、かつて、『ママとあそぼう!ピンポンパン』(1966年10月3日~1982年3月31日、フジテレビ)という、子ども参加番組のホストをつとめていました。
坂本新兵さんは、タレントであり、保護司であった人です。
『ボクはぬくもり配達人ー保護司・坂本新兵』(主婦の友社)からご紹介します。
坂本新兵は芸名で、本名は佐藤親広。
といっても、生まれたときの姓ではなく、非嫡出子として生まれ、それを気の毒に思った産婆さんが、自分の籍に入れたことがはじまりです。
坂本新兵は、父親がわからないそうです。
母親は生保の外交で生計を立て、朝から晩までひとりぼっち。
その後、母が別の男性と結婚すると、その戸籍に養子という形で入って「佐藤」姓になったそうです。
先日ご紹介した、田中角栄夫人、田中はなさんの連れ子。静子さんと同じです。
はなさんと静子さんは、実の母娘なのに、法的には、田中角栄の籍に入ったはなさんが、実の娘を「養女」に迎えるという手続きを踏みます。
これ、おかしいでしょう。実の娘なのに。
近年、夫婦別姓の賛否がかまびすしいですが、再三書きますけど、別姓・同姓なんて、そんなに気が狂うほどの重大なことですか。
そんなことより、このような実の子が「養子」になる矛盾の是正の方が喫緊ではないでしょうか。
それはともかくとして、自分のせいでもないのに、苗字が何度も変わるというのは、決して幸福な「ほしのもと」とはいえないでしょう。
坂本新兵さんが、それでもグレなかったのは、母親のぬくもりに守られたからだそうです。
非行に走るか踏みとどまるか更正できるかは、人のぬくもりから前向きに生きる気持ちをもてるようになるかどうかだ、と坂本新兵はいいます。
だから、いわゆる「非行少年」らには、自分が与えられるぬくもりを与えたいと思ったそうです。
ただし、すぐに保護司になったわけではなく、日本大学法学部を3年で中退し、高校の頃から憧れていた芸人の道に進むべく、ショパン猪狩の弟子になります。
そして昔、母親が置き薬屋の手伝いでお得意さんを回っていた時、あるお宅に行ったら、ヤクザみたいな風貌のオッサンが出てきて、母親は怖くて早く帰りたかったのだが、そのオッサン、変に優しくて、後から気付いたらショパン猪狩さんだったとさ…w pic.twitter.com/DLkvLNM8Ew
— Rachel D'Amour (@racheldamour) March 30, 2015
その後、『ママとあそぼうピンポンパン』というフジテレビの子供番組を「皆勤」します。
ママとあそぼうピンポンパン
今日のゆるキャラ 「ママとあそぼう ピンポンパン」 pic.twitter.com/U4vjDs4ylU
— 里芋☆もろこし村 (@satoimo23) November 19, 2018
『ママとあそぼう!ピンポンパン』(1966年10月3日~1982年3月31日、フジ)は子供向けのテレビ番組。
進行役3~4人と、ぬいぐるみのキャラクターによって、歌や視聴者参加の体操など、『おかあさんといっしょ』のフジテレビ版です。
その初代のお兄さんが佐久間俊直、お姉さんが渡辺直子、そして「まとめ役」の新兵ちゃんが坂本新兵でした。
『おかあさんといっしょ』の違いは、若手女子局アナが「お姉さん」を担当したことです。
番組からヒット曲も出て、『おもちゃのチャチャチャ』もそうですし、「トラのプロレスラーは シマシマパンツ。はいてもはいてもすぐとれる。がんばらなくっちゃ……」という『ピンポンパン体操』もずいぶん流行りました。
アルバム『ママとあそぼう!ピンポンパン SONG COLLECTION』ダイジェスト試聴 https://t.co/8UvJKEm4Ki @YouTubeより
— emanon_tw (@emanon_tw) June 28, 2020
お姉さんはその後、第5代まで続きますが、その間、新兵ちゃんは皆勤でした。
当時、週刊誌には、「坂本新平と渡辺直子の結婚」が書き立てられ、私も子供心に結婚するものだと思っていました。
が、破局したのか、ガセネタだったのか、2人は結婚しておらず、渡辺直子さんは、44歳だった料治直矢さんと38歳で結婚しています。
料治直矢さん。一見、強面で無愛想なイメージのキャスターでしたが、そこには「飾らない、媚びない、ぶれない、群れない」無骨でも心優しい人柄がにじみ出ていて、27年経っても多くの人の心に残っています。https://t.co/36HR11HVWa #料治直矢 pic.twitter.com/v1Azk4me3j
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) June 29, 2024
『ママとあそぼう!ピンポンパン』は、1982年まで放送が続いたので、昭和世代ならご存知の番組だと思います。
坂本新兵はこの仕事が認められて、保護司になることを頼まれたそうです。
番組終了後はタレント業よりも、保護司としての活動に力点を置くようになりました。
いじめについてどう考えるか
芸能界に、保護司の肩書を持つタレントは他にもいます。
刑務所や少年院を慰問するタレントもいます。
もちろん、その人たちに善意がないとはいいませんが、やはりそれは、自らの芸能活動のパブリシティの範疇にあるものです。
しかし、坂本新兵は、芸能活動の箔付けではなく、ひとりの保護司として「非行」「犯罪」の当事者たちと関わるようになりました。
自腹を切って、芸能人として活動できる自分の人生の後半を費やして、「不幸な星のもと」の子どもたちと向き合いました。
昔のイジメは、いじめられる子どもにある程度傾向があったけれども、今は「いじめる子」と「いじめられる子」の境界区分が、はっきりしていない」と坂本新兵はいいます。
つまり、人間関係として発生する「いじめ」ではなく、社会病理だというわけです
坂本新兵は、「悪しき平準化」と「建前ばかりの良好な人間関係の現実」のギャップに、子どもたちは迷い、その処し方がわからず「いじめ」につながっていくと推理しています。
たとえば、ウソと不正な競争がまかり通る現実なのに、運動会で順位を付けないきれいごとの「平等」に何の意味がある、ということでしょうか。
また、人が死ぬ場面と生まれる場面に立ち会わせることで、生命の尊厳を知ることができるのではないか、とも提言しています。
昨今は、人の死を「けがれ」「怖い」「悲しい」といった理由から、実子すら臨終に立ちあわせなかったり、直系親族でも葬儀や法事に出席させなかったりすることがあるそうですね。
私は、葬儀は大勢を呼ばずにシンプルに行うべきという考えを持っていますが、さすがに家族・肉親が、看取りや野辺送りはした方がいいだろうと思います。
坂本新兵さんは1996年に心不全のため亡くなりましたが、こうした考えは、こんにちにも通用する、というよりこんにちますます説得力を持つ提言ではないかと思います。
以上、坂本新兵さん(1935年4月16日~1996年6月30日)は、『ママとあそぼう!ピンポンパン』などに出演。1980年代以降は保護司として活動、でした。
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