昭和映画・テレビドラマ懐古房

加藤治子さんを再録インタビューで偲ぶ


加藤治子さんが今月2日、心不全で都内の自宅で死去したことが報じられ、ネットでも何かと話題になっている。長い間、ドラマや映画で活躍してきた女優としては当然であるが、このブログでも加藤治子さんを振り返ってみよう。(画像は『雑居時代』より)

過去の作品を忍んだり、死別した加藤道夫や、離婚した高橋昌也子どもはいなかったのか、といった私生活ののぞきだったり、何かとかまびすしい。森光子らとともに、昭和のお母さんとして、映画やドラマで長く仕事をし続けてきた実績があってこそだろう。

近年の加藤治子は、向田邦子自伝ドラマの常連だったが、昭和時代は、向田邦子や松木ひろしらの書くホームドラマのお母さん役としてたくさんの出演作がある。

報道では、『七人の孫』(1964年1月6日~7月6日、1965年6月7日~1966年2月28日)が報じられる。

TBSのナショナル劇場(水戸黄門の枠)で放送されたホームドラマで、このドラマによって、プロデューサーの久世光彦、脚本家の向田邦子、女優の悠木千帆(現樹木希林)などが売れっ子となるきっかけとなった。

森繁久彌の祖父、大坂志郎と加藤治子の子、高橋幸治、松山英太郎、いしだあゆみ、島かおり、勝呂誉、長谷川哲夫、田島和子の孫がレギュラーメンバーである。

ナショナル劇場は、木曜21時にNET(現テレビ朝日)にも枠を持っていたが、森繁久彌、大坂志郎、加藤治子は、その枠でも常連になった。

松木ひろし、向田邦子脚本で、1970年~1977年まで5部にわたって作られた『だいこんの花』がそうである。

加藤治子は、その第2弾の『新だいこんの花』1972年1月6日~6月29日、NET)で、大坂志郎の後妻という設定で、またしても大坂志郎と共演した。

森繁久彌(父親)と竹脇無我(息子)の“父子家庭”で、森繁久彌は軍隊時代元海軍大佐巡洋艦艦長という設定である。

当時の部下が近所に住んでいて、森繁久彌にいつも振り回されているというのが全シリーズ共通のストーリー。

その部下の一人が大坂志郎である。

タイトルの『だいこんの花』とは、「だいこんの花のように清楚で美しかった亡き妻(母)」という父子の思いを表現したものである。

息子の竹脇無我が、いつも大事にしている母との写真。そこにうつっているのは加藤治子だった。

森繁久彌の亡き妻と、大坂志郎の後妻との2役である。

つまり、加藤治子は、ドラマのヒロインだったのである。

そして、森繁久彌に部下たちがいつも振り回されても、加藤治子はニコニコしている。

もう一人の部下である牟田悌三の妻である春川ますみが、すぐぶちきれるタイプなので、加藤治子の清楚さがいっそう際立っていた。

マニアの多い『雑居時代』(1973年10月3日~1974年3月27日、ユニオン映画/日本テレビ)にも出演している。

加藤治子は、主人公・大場十一(石立鉄男)の母親役だった。

外交官・大場鉄也(山形勲)のアフリカ・ケニンゴ大使赴任が決まり、妻・邦子(加藤治子)は、鉄也に勘当されて、アパートを借りてカメラマン助手をつとめる一人息子の十一(石立鉄男)が心配になる。

そこで登場するのが、またしても大坂志郎(笑)

邦子(加藤治子)は、繊維会社に勤める大場鉄也(山形勲)の大学の同級生である栗山信(大坂志郎)に、成城の大邸宅をたった100万で売り、しかもその半分の50万を邦子(加藤治子)が出すという破格の提案をする。

その条件は、大邸宅の2階の2部屋に十一(石立鉄男)を住まわせ、それとなく様子を見るというものだった。

昭和の思い出深いドラマに出演

これも追悼という意味があると思うが、『東京スポーツ』(2015年11月13日付)に、加藤治子の1976年3月1日のインタビューが再録されている。

「団塊記者の取材回顧録」というコーナーである。

「みっとみないくらいむきになるそんな女でいたいのよ」という見出しとともにこう書かれている。

2日、心不全のため都内の自宅で死去した女優の加藤治子さん(享年92)は1964年、人気ホームドラマ「七人の孫」(TBS系)で人気が出て以来、「寺内貫太郎一家」(74年)など数々のホームドラマで母親を演じて「昭和のお母さん」と呼ばれた。
 76年3月1日、加藤さんが「フライパンの唄」(TBS系)に出演していたときに東京・赤坂のTBSでインタビューしたことがあった。当時53歳(写真)。
 おっとりとした口調。上品で落ち着いた雰囲気のやさしいお母さんといった感じだった。
「桧山英太郎さんでしょう、長谷川哲夫さん、水谷豊さん、石立鉄男さん、勝呂誉さん…私の息子になった人、ずいぶんいますよ」。指を折りながら、ドラマで息子役を演じた俳優の名前を挙げた。
 共演者が本当の息子に思えたりは?「あら、そんなことないわよ。でも、よく相談事を持ちかけられるわね。でも、それもいいじゃない」(中略)
「何か人生が分かったみたいに、人間ができたみたいにしてるのって性に合わないんですよ。自分の好きなことに、みっともないくらい、むきになっちゃう。そんな女でいたいのよ」(後略)

『フライパンの唄』(1975年10月7日~1976年3月30日、TBS)も懐かしいドラマだ。

やはり昭和ドラマが好きな人には忘れられない女優である。

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