伊藤ユミといえば、我が国の歌謡史に名を残したザ・ピーナッツの妹だ。最近、また彼女がニュースになった。とっくに引退しているし、姉の伊藤エミの命日もまだはやい、と思ったら、東京・世田谷に建てた100坪超の地下1階、地上2階の豪邸を売却。その土地は更地になっていた、という記事が『女性セブン』(6月12日号)にでたのだ。
伊藤エミ、ユミの双子姉妹は、デビューのために上京。渡辺プロに住み込むも、1961年に冒頭の大邸宅を建てたという。
いくら芸能人だからといって、伊達や酔狂で大きな屋敷はたてない。当然、みんなで住む大家族型の利用を考えていたのだ。
ザ・ピーナッツの他に、両親、姉、弟、付き人、さらに一時期結婚していた沢田研二もマスオさん状態で暮らしたことがあるという。
正確に言うと、伊藤エミとユミは、理由はわからないが、現役時代の晩年、いったんユミがその邸宅を出て一人で生活している。
それが、いつのまにかまた一緒に暮らしていた。
やはり、妹・ユミは姉・エミと離れられなかったのか。
しかし、エミが亡くなり、ユミとエミの息子、つまりユミの甥がその大邸宅に残った。
だが、11年に母が、12年2月に愛犬が相次いで死亡。そして、エミさんも同年6月に亡くなってしまう。賑やかだった自宅からひとり、またひとりと家族がいなくなり、残されたのはユミさんとAさん伊藤ユミは、結局もとの邸宅から車で10分ほど離れたマンションぐらし。
だけとなった。
そして前述のとおり、昨年春、そのふたりも家を出てしまった。
「自宅は改修工事をしたばかりで、ユミさんはAさんとずっと一緒に暮らしていくつもりでした。でもAさんは、お母さんが病に倒れてから、“自分の力で生きていきたい”と思うようになったんです。親離れ、というか……今は自立して音楽関係の仕事もしていますからね。ユミさんはエミさんと離れることができず、結婚して家庭を築くという“普通の幸せ”を手に入れられなかったという思いが少なからずあります。だからこそ、彼の思いも痛いほどによくわかるんです。とはいえ、彼女はもう73才。ほとんど生まれて初めてのひとり暮らしですから、彼の決意を苦渋の思いで受け入れたんだと思います。自宅を残しておくことも考えたそうですが、維持費もかかるので、売ることにしたそうです」(ユミさんの知人)
同誌によると、「寂しすぎますね」と近所の人につぶやくこともあるそうだ。
まじめに歌い続けてきたのに、70過ぎて、家も人も失う経験をしなければならないことについて、ついそう嘆きたくなるのだろう。
エミの息子にとってはむずかしいところだ。
母親が亡くなったのだから、なおのこと、今は本当の親のように自分をかわいがってくれた叔母孝行をするときかもしれないが、一方で、独り立ちするには今が良いチャンスという見方もできる。
それにしても、ザ・ピーナッツ邸といえば、ハナ肇邸の隣に建てたことで有名だ。
中尾ミエが、そこに行くと当時を思い出す、と書籍で語っているぐらいだ。
ザ・ピーナッツ邸が消滅してしまったことで、『シャボン玉ホリデー』の最後のにおいまで消えてしまったようで寂しい気がする。
映画本編に入った“ショータイム”
ザ・ピーナッツは、東宝クレージー映画に何本か出演している。
が、園まりや中尾ミエと違い、ストーリーに絡むわけではなく、劇中のショータイムで歌っているのだ。
とくに、『クレージー黄金作戦』と、『クレージーメキシコ大作戦』のときが印象深い。
『クレージー黄金作戦』のときは、彼女たちの持ち歌、『ウナ・セラ・ディ東京』を、ザ・ピーナッツ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ジャニーズで歌っていた。
ザ・ピーナッツは、途中で何度も衣装が変わっていた。
『クレージーメキシコ大作戦』は、テンポの良い踊りを見せてくれた。
姉の伊藤エミが、笑顔を振りまくサービス精神を見せたが、妹の伊藤ユミは、必死になって踊っているという印象だった。
このシーンなどはそれを感じる。
ザ・ピーナッツ邸は消えてしまったが、私たちは自分の脳裏で彼女たちがいつまでも活躍してくれるように、彼女たちの出演作品をどんどん鑑賞し、持ち歌を何度も聴こうではないか。