昭和映画・テレビドラマ懐古房

久我美子さんの訃報が話題です。享年83歳。華族であり貴族院議員である久我通顕の長女として生まれ、映画やテレビドラマなどで活躍

久我美子さんの訃報が話題です。享年83歳。華族であり貴族院議員である久我通顕の長女として生まれ、映画やテレビドラマなどで活躍しました。久我(こが)家は、村上源氏の流れを汲む清華家であり、彼女は女優として日本の映画史において重要な役割を果たしました。

久我美子さんは、2024年6月9日に誤嚥性肺炎で亡くなりました。


久我美子さんは、1946年に女子学習院在学中に、東宝ニューフェイス第一期生に合格、映画デビューを果たしました。

同期は、三船敏郎さん、堀雄二さん、伊豆肇さん、若山セツ子さん、堺左千夫さんらになります。

特に、1950年の映画『また逢う日まで』での岡田英次さんとの窓硝子ごしの接吻シーンは有名です。


その後も、多くの映画やテレビドラマで活躍し、1954年には有馬稲子さん、岸惠子さんとともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立しました。

私生活では、1961年に俳優の平田昭彦さんと結婚。

1960年に、時代劇大作『大坂城物語』で共演したのが縁で交際が始まったといわれます。

1989年の映画『ゴジラvsビオランテ』では、夫婦共演が実現しました。

平田昭彦さんの実兄は、映画監督の小野田嘉幹さん。

その配偶者が女優の三ツ矢歌子さん。

平田昭彦さんの実妹には、『お笑い三人組』に出演していた女優の音羽美子さんがいます。

家族制度とは何だ

前述のように、『また逢う日まで』では窓硝子ごしの接吻シーンが有名ですが、久我美子さんの女優歴の中には、窓ガラスのない、本当のキスシーンの経験もあります。

しかし、少なくとも終戦前なら、久我美子さんがそのような仕事につくことはなかったでしょう。

久我美子さんの実家である久我(こが)家は、平安時代から続く公家の名門であり、村上天皇の孫を祖とする家柄です。

久我美子さんの父親である久我通顕は侯爵の爵位を持ち、貴族院の議員も務めた人物でした。

侯爵は、日本の華族制度における爵位の一つで、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五爵位の中で二番目に高い位です。

日本の爵位制度は、明治時代に確立された貴族階級の体系です。

この制度は、1884年に制定された華族令によって導入されました。

爵位は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五つの階級に分けられ、それぞれが特定の家系や功績に基づいて与えられました。

公爵は最も高い位で、皇族や特定の公家、武家、または国家に対して顕著な功績を挙げた者に与えられました。

侯爵は公爵に次ぐ位で、清華家や大藩の知事、国家に勲功のある者に与えられました。

伯爵は、大納言宣任の例が多い旧堂上、徳川旧三卿、中藩の知事、国家に勲功のある者に与えられました。

子爵は、一新前家を起した旧堂上や小藩の知事、国家に勲功のある者に与えられました。

男爵は、一新後に華族に列せられた者や国家に勲功のある者に与えられました。

有爵者は、貴族院の有爵議員に選出される特権を有していました。

しかし、1947年に施行された日本国憲法により、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と定められ、爵位制度は廃止されました。

これによって、華族は階級的な特権だけでなく、持っていた富も奪われました。

たとえば、太宰治の『斜陽』には、そんな「没落貴族」の姿が描かれていますが、久我家もそうした事情から、長女として、働かなければならなかった事情があったと思われます。

しかし、女優という仕事には抵抗があったようで、本名の読み方「久我」(こが)ではなく、「久我」(くが)で女優活動を行いました。

平田昭彦さんのプロポーズの言葉は、「床の間に飾っておく」

華族で学習院出身の“侯爵の姫君”と結婚「させていただいた」のです。

戦争が終わったからこそ結ばれた!?


平田昭彦さんだって、決してド底辺の方ではないんですよ。むしろその逆です。

平田昭彦さんは、日本統治時代の朝鮮の京城(現在のソウル特別市)生まれ。

小野田家(平田昭彦の本名)がソウルにいたのは、おそらく父親が官吏として派遣されたか、旧東洋拓殖のような、鉄道や農業技術など朝鮮にインフラを確立する半官半民の会社員だったかで、いずれにしても社会的身分は中上級的な立場だったはずです。

たぶん、小野田家は、中下級の士族だったのではないでしょうか。

平田昭彦さん自身も、陸軍士官学校⇒旧制一高⇒東京大学法学部という、人も羨む典型的なエリート官吏コースです。

それでも、「アップークラス」と「華族」では、決定的な違いがあったということです。

華族>>>士族>平民、ですからね。戦前だったら、2人は結婚できなかったでしょう。

武田邦彦という人が、日本には差別がないなんていう動画を流して叩かれて削除していましたが、日本が身分社会であったことは歴然としています。いくら理系だからといって、大学教授なのにバカも休み休み言え、ですよ。

戦争が終わり、小野田一家は日本に戻り、平田昭彦さんも将校という目標が消え、久我一家も華族から“普通の人”になったわけですが、ご本人たちにとっては、俳優業を自分の意志で自由に選択できた時代になり、かつ結婚できたのですから、よかったのではないでしょうか。

久我美子さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。合掌


あの手この手 – 久我美子, 森雅之, 水戸光子, 堀雄二, 市川崑

あに・いもうと – 京マチ子, 久我美子, 森雅之, 山本禮三郎, 浦辺粂子, 船越英二, 成瀬巳喜男, 水木洋子

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