中村梅之助、『達磨大助事件帳』はテレビ朝日専属契約出演だった

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中村梅之助、『達磨大助事件帳』はテレビ朝日専属契約出演だった
中村梅之助さんが、今月18日に亡くなったと話題になっている。中村梅之助といえば、もちろん前進座の社長でありトップ俳優でもある。しかし、それだけでなく、一時期はテレビ朝日と2年間の専属契約を結び、その一環として『達磨大助事件帳』(1977年10月13日~1978年5月11日、前進座、国際放映/テレビ朝日)に出演したというのだ。

その“新事実”が明らかになったのは、『東京スポーツ』(2016年1月22日付)に掲載された、中村梅之助の「取材回顧録」(1977年8月4日)である。

同紙によると、当時、各局が争奪戦を繰り広げ、テレビ朝日が「企業秘密」(中村梅之助)の契約金を支払って2年の専属契約を締結したという。

中村梅之助を一躍お茶の間のスターにしたのは、やはり『遠山の金さん捕物帳』(1970年7月12日~1973年9月30日、東映/NET)であろう。

放送時間は、毎週日曜日20時だった。

同番組が終了すると、中村梅之助は日本テレビで『伝七捕物帳』(1973年10月2日~1977年10月11日、ユニオン映画)に出演。

こちらは毎週火曜日20時放送だった。

要するに、中村梅之助は、足掛け8年にわたって、ゴールデンタイムの、もっとも幅広い年齢層が視聴するであろう20時で、時代劇の主役を務めてきたのだ。

それが、『伝七捕物帳』終了後の争奪戦につながった。

すでに、『伝七捕物帳』の時点で、レギュラー出演者の多くが前進座の所属だったので、中村梅之助は出演するたびに自分に有利な条件を獲得していったわけである。

専属契約というが、あくまでも、「連続ドラマ」に限ったことであったという。

たとえば、単発のドラマ出演は許されたようだ。

また、何より中村梅之助といえば、前進座の俳優なのだから、前進座の舞台に出ない訳にはいかない。

当時は、同じような「専属」契約を日本テレビと結んでいたのが池内淳子である。

新東宝→東京映画→東宝と、長らく映画で活躍してきた池内淳子は、『つくし誰の子』(1971年7月19日~1975年4月14日、日本テレビ)のヒットで、ホームドラマ全盛の並にも乗って、お母さん女優としての地位を揺るぎないものにしたが、池内淳子も、TBSの『女と味噌汁』出演は許されていたという。

いずれにしても、ホームドラマの質が変わり、時代劇に至っては壊滅状態の現代では、想像しにくい待遇かもしれない。

達磨大助事件帳、伝七捕物帳等に出演

では、『東京スポーツ』(2016年1月22日付)に掲載された、中村梅之助の「取材回顧録」(1977年8月4日)を見ていこう。

 18日、肺炎のために85歳で死去した俳優で劇団前進座代表の中村梅之助さんは、前進座の創設者の一人である中村翫右衛門さんの長男として生まれ、1939年、9歳のときに「勧進帳」の太刀持ちで四代目梅之助を名乗り初舞台を踏んだ。
 前進座の少年劇場で活躍して、20歳ごろから次代のホープと注目される存在になり前進座の舞台で活躍。70年、テレビドラマ「遠山の金さん捕物帳」(NET=現テレビ朝日)の初代遠山金四郎に技てきされ一躍お茶の間の人気者になった。さらには「伝七捕物帳」(73年、日本テレビ)やNHK大河ドラマ「花神」(77年)などで時代劇俳優として一世を風靡した。
 1977年8月4日、本紙のインタビューに大いに語ったことがあった。当時47歳(写真)。
 テレビ朝日と専属契約を交わして第1弾華「達磨大助事件帳」に達磨大助役で主演していた。民放各局が梅之助争奪戦を展開してテレビ朝日が獲得と話題を呼んだ。
「ふっふっふっ、車属契約を積んだというわけなんです。だからって、他のテレビ局に出ないというわけじゃないんです」。単発もののゲスト出演は可能だという。
「まっ、私は将棋の駒みたいなもんだから、指し手の意向しだいで歩でもあれば成金にもなるという具合でしてね。ともかく視聴率のためにやるだけ。へっへっへっ」。視聴率男の面目躍如だった。時代劇俳優ナンバーワンといわれ、「遠山の金さん捕物帳」や「達磨大助事件帳」など午後8時からの放送が多く「8時の男」の異名をとった。
「2年契約です。ええ、契約金というものもありましたが企業秘密でして」
 同ドラマの主席歌も歌った。「歌は普段から結構やるんですよ。悪乗りしたりしてね。酒の席だとまず歌う」と笑った。ざっくばらんで快活でとにかく明るい人柄で親しまれた。
「今度の役柄はね、15歳も年下の女房をもらうという設定なんです。うら若い女性と結婚するなんてのは男性の絶対願望ですからね、今から楽しみにしています」。実生活では19歳で結婚して愛妻家だった。「ムハハハ、せいぜいブラウン管の中でデレデレしてみます」
 アイデアマンとしても名高く、撮影に入る前に必ず何か仕掛けを考えてくることでも知られた。「今度はね、十手捕縄に工夫を凝らしたんですよ。栓抜きみたいにちっちゃい十手を考案しましてね、これを分銅にして捕縄の先につけて振り回すんです。面白い殺陣ができると思いますよ」。役作りにかける情熱は尽きることなく数々のドラマ、舞台、映画で活躍して一時代を築いた。(阪本)

当時は、2クール単位でドラマが作られていたが、時代劇は比較的数字が安定しているので、1年、ないしは2年続ける意図あったのかもしれない。

『達磨大助事件帳』は、1977年10月13日~1978年5月11日に全29回にわたって放送され、

その後は『伝七捕物帳』が1979年2月11日~1979年9月30日まで毎週日曜日20時に放送された。

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